iPad Pro 12.9インチ + Apple Pencil

結論:

どっちも使いにくい。

概ね不満ばかりなんだけどApple Pencilは本当に現時点ではゴミだな! …って感想しかないので次世代で改善されなかったら期待できないデバイス認定していいと思う。

Apple Pencilにお絵かきタブレットのペンタブみたいにペン先を突っ込んでおくだけで充電出来る充電器と現在のバッテリー状況がわかるようになる仕組みが導入されれば今のやつを捨てて買い換えるかもしれない。 それくらい不満が溜まる、正直使いどころにこまるデバイスだなという印象しかない。

iPad Pro 12.9インチ

  • 大きすぎる
    • 10.5インチで十分、というか10.5インチですら大きい可能性が高い
  • 充電するまでの時間がかかりすぎる
  • 持ち運びがラップトップPC(ノートPC)と変わらない
    • だったらラップトップPC持ち歩く
    • ラップトップPCに対する利点が軽さだけどラップトップPCはそれを上回る利便性を誇るので結局デメリットのほうが大きい
  • 画面がデカいのでデュアルディスプレイとして使うという選択肢はありかも。

Apple Pencil

  • 充電しにくさという一点だけで批判レビュー書いても許されるくらい不便
    • この設計を考えたデザイナーはマジで死んで欲しい。
  • ペンが重い
    • そのうち慣れるっちゃあ慣れる
  • ペンの反応が割りとボールペンやシャーペンで書いてるときと同じ感覚で書けてる
    • 絵を描く人とかのレベルではないのであくまで一般的なレベルとして判断して欲しい
  • ライトニングケーブルのアダプタがなくしやすい構造になってて殺すぞ!!!って気持ちになる。
    • 結局アクセサリで対応したが無駄な出費させんなクソが!という気持ちになる。
  • バッテリーの持ちがわかりにくすぎる
    • 母艦側(iPad)のバッテリー表示でしか確認できないの最高にクソ
  • ペアリングの仕方がいけてない
    • ペンの頭を取ってiPadにぶっ刺さないとペアリングできないの最高にダルいしダサすぎるでしょ。

インターンみてて気づいたこと

前職でも現職でもインターンを受け入れていて教育係というかチューターが四苦八苦しているのを眺めていて思ったことを忘れないうちにメモっておく。

  • インターンとチューターは1:1の関係のほうがいい
    • インターン同士で相談しあって相談に来る機会が減ってしまう
    • せっかく職業エンジニアにいろいろ聞ける機会を潰してしまっているのはもったいない
    • エンジニア側としてもいろいろ教えることで無知の知を知る機会が減ってしまったり、教え方を覚える機会が減るのはちょっとした損失に思える。
  • フィードバックを細かいイテレーションで回したほうがいい
    • これは印象論というか傍目にインターン生を見ていて満足度が高そうだなと感じたのがフィードバックを毎日、あるいは週一レベルで行っている方が満足度が高そうだなと感じた。
    • インターンに限らず新卒や新しく入社した転職組とかでも応用可能だしそういうフィードバックの機会を設けてくれているというだけで安心感がある。
  • インターン生のチューターは出来る限り年齢が近い同性を当てるのがいい
    • これは心理的安全性が断然違うから。
    • 特にエンジニアは男性が多い職場のほうが多くなりがちだと思うので可能なら女性のインターン生には女性エンジニアをつけたほうがなにかと相談しやすい効果がありそう。
  • インターン生を教えるならまとめて教えるほうが効率が良い
    • インターン生と一口でいっても多少の知識がある人や全くの未経験という人もいる、それらを均一化して教えるのはなかなか難しいとは思うがまずチューター側がどれくらいのレベルまで出来るのか?を把握する意味合いでもまとめてやったほうがいいように思える。

実際のところ、ぼくはインターンシップを経験したことがないので完全に他人事なのだけど 傍目に見ていてこう感じたよというお話し。

インターンシップを経験して良かったところや「今にして思えばこういうことがしてほしかった」などあればブコメでの指摘を待っている。

インターンシップとかやってみたかったなー、いきなり現場に放り込まれたもんなあ、ぼく。 というわけで社会人インターンをさせてくれる会社があればご連絡いただければと思います!(マジで)

以上。

王様達のヴァイキング13

王様達のヴァイキング13巻読んだ。 相変わらず読んだあと無性にコードが書きたくなる。

以前から面白くて周りにオススメしているんだけどいまいち「何故面白いのか?」を伝えきれなくてモヤモヤしていた。 少し考えて今わかるのはこういうことかな?と思って書き出してみたのでもし読んでいる人で「いやいやこれが最高な理由だろ!」とかいうのがあれば教えてほしい。

  • 是枝くんが作中で新しい技術やヴァルキュリアのコードにワクワクしたり、坂井さんと新しいおもちゃを思いついたときのワクワクする根底の部分が理解できる
  • 天才が苦渋と辛酸、そして挫折を糧にして成長していくのを観客として楽しめる
  • よくある映画のスーパーハカーさまなんだけど描写やバックボーンの理屈が非常に現実的…というか現実で懸念されている問題を題材にしていてリアリティーが高い

なお似たような作品にバトルプログラマーシラセ(BPS)があってこれは好きだったんだけど(アメリカ王がいいキャラしてたので続編カモン)ブラッディ・マンデイは駄目だった人間です。

多分だけど是枝くんが奇人で変人でコレ以上ないくらいに未完の天才なのが人間臭くていいのかもしれない。 そういえばBPSのシラセもダメ人間でしたしね。

ブラッディ・マンデイはそのあたりが親がどこぞの諜報機関のTOPだとか自身がスーパーハカーでそのエージェントで正義感に溢れた10代の高校生!って設定あたりがどこの完璧超人だよ!みたいに感じて嘘くさく感じていたと思う。今でも好きになれない。

でも当時働いていた同僚のエンジニアがすげー面白い!って言ってたので人によるんだろうな。

BPSみたいに喜劇にまで振り切ってくれたらもうちょい楽しめたのかもしれない。 半端にファンタジーとリアルが混ざってしまった結果微妙という評価に繋がったと思っている。

カバンの中身

今週のお題「カバンの中身」

ぼくは基本的に物忘れがひどい人間なのでカバンにいれるものはほぼ固定化している。 というより固定化させている、そうしないと間違いなく「あれが入ってない」「これを入れ忘れた」となるからだ。 そして大体の場合それらを忘れたときは何かしらのイベントで「こんなときに限って!」となりがちなので 無駄であるとは思いつつ、万が一に備えて持ち歩くようにしている。

以下はその中身だ。

電子機器編:

  • モバイルバッテリー
  • モバイル急速充電器(USB式)
  • ライトニングケーブル
  • マイクロUSBケーブル
  • iPad Pro 12.9インチ
  • Apple Pencil
  • モバイルWifi
  • ワイヤレスヘッドフォン

仕事編:

雑貨編:

  • 折り畳み傘
  • 扇子
  • 折りたたみ式ウインドブレーカー
  • カロリミット(買ったはいいが一度も食べてない)
  • 日焼け止め(買ったはいいがry)

大事なもの編:

  • 財布
  • 定期入れ
  • 家の鍵

これらのものを鞄を入れ替えるたびに毎回全て入れ替えている。 なので非常に面倒なので基本鞄を気分で変えることはあまりない。

この中身にMacBookProか現在読書中の本があればそれもプラスされる。 スマートフォンと小銭入れは常時ポケットにいれているため除外。

MacBookProを持ち歩いてると腰にダメージがきたが最近持ち歩かな&自転車の籠に放り込んでいるので腰へのダメージがなくてカバンの重さは腰のダメージ量に比例するのをまざまざと体感している。 軽いは正義!

努力の質と量

最近少しだけ努力における質と量について考えることがあったので頭の中を整理しようと思う。

イシューからはじめよでは解の質をx軸、イシュー度をy軸と定めている。 ぼくたちが本質的に解決すべき問題の本質をバリューのある仕事というものは解の質とイシュー度が高い地点 (x,y)=(1,1) にあるものと書かれている。

ここまでは特に異論も反論もないのだが最近そのあとに書かれている「犬の道」についてふとした疑問が湧いた。 犬の道とは解の質を増やしたあとでイシュー度をあげることは難しく、そうすると本来解決すべき問題に辿り着くことができないというものだ。

「何故犬の道なのか?」がわからないが最近ぼくはこの犬の道を負け犬の道と呼んでいる。 負けるべくして負ける選択肢を取る愚か者の行く道という意味で元の犬の道よりもわかりやすいと考えたからだ。 恐らくはもともとそのような意味であったのだろうとは思うが、せめてアンダードッグウェイとか書いてくれればわかりやすいものを…。

閑話休題

話しを元に戻すと解の質を努力の量、イシュー度を努力の質に置き換えれるとぼくは考えている。 そして基本的には本にかかれている通りだとも思っている。

まず最初に「努力の質(イシュー度)」をあげ、その後「努力の量(解の質)」をあげるという手法は正しいがフェイズやタイミングによっては質をあげるための土台となる量が必要になるのではないか?というものだ。

確かにイシュー度をあげてから解の質をあげるというのはなるほど、正しいアプローチであるように感じる。

ところが唯一の例外というタイミングが (x,y)=(0,0) の地点においてのみはこのアプローチは必ずしもあっているとは言えないのではないか?と考えたのだ。

何故そう思ったのかというとこれらの抽象化された単位を具体的に「国語の文章力を鍛える」というイシューを仮に立てたと想定して考えたところ イシュー度にあたる努力の質をあげるためにはまず質を上げるための土台として量をある一定こなす必要があるだろうと考えたからだ。

例えば漢字の読み書きというものは文章力を鍛えると言う問題そのものには何ら貢献をしない。 これは詰まるところ努力の量、つまり解の質であるように考えられる。

文章読解能力を鍛えるために漢字の読み書きを重視するひとはあまりいないだろうと思うのでそこまで的はずれな考えでもないだろう。

ところがこれがそもそも文章に書かれている「漢字が読めない、意味がわからない」状態であればどうか? 漢字の読み書きや意味を知ることにはきちんと意味が生まれるのではないだろうか?

これは恐らくもともとの問題提起が間違っているのだろうと思う。 つまりこの場合のイシューとは「文章を読める能力を身につける」が正しく、その場合単語や漢字の意味を知ることは十分にイシュー度の高い努力の質になり得るのではないか?と考えたのだ。

www.nikufumi.com

この考えは今朝読んだ↑のエントリに多大な影響を受けているのだと思う、特に「スキルを分解する」という項目が。

と考えると努力の質と量、イシュー度と解の質がある時点では量(もしくは解の質)が正しい点が存在するというのは間違いで本質的に解決すべき問題の定義が間違っていたのだという結論になる。 イシューとはこれ以上分解できないレベルになった問題の本質であると考えるとなるほど、定義が誤っていれば解決する手法や手段が異なるのは自明の理だ。

ということは文章力を鍛えるというのは将来的な課題ではあるが、今まさに解決すべき問題の本質ではないということになり、今やるべき本当の問題は「語彙を増やすことで文章を読める下地を作る」ことになる。

つまりイシューからはじめよで書かれている内容のほうが正しく、ぼくがふと思いついたことには重大な問題が潜んでいたということになる。 イシューからはじめるにはまだまだ習熟度が足りていないと実感する形になった。

ということを書きながら考えていたので考え方や感じたことをアウトプットしてブログに残すというのは意外と頭の中を整理するという点において良い手法なのかもしれない。 少なくともぼくにおいては。

仕事を増やすマネージャー

良いチーム、悪いチーム。 優秀なマネージャー、そうでないマネージャー。 軍隊の指揮官みたいにバリバリみんなを率いて先頭に立つリーダー、みんなとで協力して効率をよくするリーダー。

世の中にはさまざまなリーダーやマネージャー、そしてチームがある。 決して長いとはいえない自身の経験を省みても、人それぞれなやり方やそのときの流行りのスタイルで指揮したり、チームビルディングしたりしていた。

その中で「あ、このチーム(あるいはマネージャーやリーダー)は駄目だな」と感じることがある。 それらにはある程度共通項があってつい先日ふと思いついたことがある。

つまり彼、彼女らは仕事を増やすのが得意なのだ、と。 そして逆に優秀だと感じるチームやマネージャー、リーダーは仕事を減らすのが非常にうまいということだ。

仕事が増える、とだけ書くとそれほど悪いことではないように思える。 少なくとも会社としては暇を持て余しているよりはあくせく働いているほうが一般的に良いことだとされている。

それ自体を否定する気はないのだが仕事にも「増えてよい仕事」「増やしてはいけない仕事」があるとぼくは思っている。 彼らが増やしているのは「増やしてはいけない仕事」だということだ。

変更した箇所全てを人力で目grepする。 チェックリストの多重チェックを行う。

などなどこの手の話は枚挙に暇がないことと思う。

逆に優秀なひとたちは「出発点Aを掘り下げていくと問題Bに遭遇しこの問題が解けません」という自体に対して「出発点Aからいくと必ず問題Bに遭遇するならそもそも出発点をFやKのような別方面からアプローチすれば問題自体を回避できる」というようなアプローチで問題自体を叩き潰していることがある。 あるいは少ない労力で問題を回避できるようななにかを思いつくのだ。

優秀なひとは「クライアントがどのような目的から今回の依頼を行ってきたのか?」を事前にメンバーに共有することが多い。 逆に優秀でないばあいは点である「こういう改修や機能追加をおこなってほしい」とだけ伝えることが多い。

この差はこの地点ではあまり問題が表面化しない。 だが開発後半になってくるとこの説明の有無がプロダクトのクオリティーを左右しかねない重要な要素になってくることが多々ある。

つまり「なんのためにこの機能を実装するのか?」という大きな目的が共有されていない場合、どういった点に注意すればいいのか。 どのような改善や提案をすればいいのかがメンバーには共有されないため、全然関係のない箇所に凝ってしまったり、あるいは細心の注意を払って欲しい箇所がおざなりになってしまう。

これはメンバー個人の問題というよりは目的共有が行えなかったというチームの問題であることが多いように感じる。

一人だと1は1のままだがチームで働くと掛け算や乗算になって自分の実力の何倍も発揮することができる!というようなことを耳にしたことがあると思う。 最近ぼくはこれらの言説に大事な但し書きが抜けていると思うようになった。

「同じ大きな目的を共有しているチーム、メンバーに限る」というものだ。

メンバーが向いている方向がバラバラなときにパフォーマンスがぐんぐん上がっている!ということは寡聞にして聞いたことがない。 逆にうまく回っていると感じるチームは同じ問題や目的を共有できていると感じることがよくある。

人間のパフォーマンスというのは我々が思っているよりも高いものではないとぼくは思っている。 だからこそチームが同じ方向を向いたときというのは多段式ロケットのように誰かのつけてくれた加速の慣性に乗っかってさらに自分たちはより遠くへ、早く目的地に到達することができるのだと思う。

ところがこの多段式ロケットの向き先がそれぞれずれていればどうなるか? 考えるでもなく、打ち上げ後すぐさま空中分解。悪くすれば打ち上がることなく爆発だ。

つまり、管理を司るマネージャーやリーダーに求められる技能とはこの「大きな目的」をきちんと見定めて設定することだとぼくは考えている。 いわゆる「問題の本質を突く」というやつだ。

「メンバー全員が同じ意見になるなどほぼ不可能だ」と悪いチームやマネージャーは口にすることがある。

そもそもだがそんな必要性はない、「Not Agree, But Commitment(同意はしない、だがチームに従う)」という状況を作ればいい。 このときに勘違いしてはいけないのは頭を押さえつけるように不満を押し込むことではない、ということだ。 いやいや従うのではなく、「自分の考えとは違うがチームが出した結論を尊重する。」というニュアンスのほうが実際には近いだろうと思う。

さてこの問題に対する解決策はないのだろうか?

ぼくは以下の方針を取ることで解決できるのではないかと考えている。

  • キックオフMTGなどで大きな目的を必ず共有する仕組みを作る
  • 仕事を増やすのではなく減らすために努力する目標設定を作る
  • 都度目的にズレが生じていないか振り返りを行う

これで本当に改善するかはわからないがまず大きな目的の共有を徹底することで多少の改善はみられるのではないかと見込んでいる。

「やらなくていいことならやらない、やらなくてはいけないことなら手短に」という折木奉太郎の標語?は実に素晴らしいと改めて実感した。

やらなくていい仕事をやらなくてすむようにするのがぼくたちの本当の仕事ではないか。

……また氷菓みたくなってきた。

ハーゲンダッツ クッキー&クリームが好き

今週のお題「好きなアイス」

好きなアイスクリームはなにか?と問われたらハーゲンダッツのクッキー&クリームをわたしは思い浮かべる。

最も美味しいアイスクリームではないと思う。 ただ最も気に入っているアイスクリームではある。

コンビニなどで買えること。 決して安いわけではないが最近流行り?の高級志向アイスクリームに比べればそこそこのお値段であること。 クリーミーな味わいとほろ苦いチョコが絶妙にマッチして年中飽きずに食べられる味であること。

これらの条件を満たしているハーゲンダッツ クッキー&クリームが私は好きだ。 とか書いてたら食べたくなってきた…。