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おうさまのみみはロバのみみ

ネット上での木の洞

またしても京都へ逃げ帰ることになったナメクジクソ野郎のポエム

まずは感謝を。

株式会社ジュピット(旧株式会社ウェブステーション)の関係者各位へ。
今まで大変お世話になりました。ありがとうございます。
ぼくみたいなナメクジクソ野郎でも

「きっと十年後、この毎日のことを惜しまない」

そんな気持ちで在職中の騒がしい日々を過ごせたのは皆さんがいつも笑ってぼくを受け入れてくれたからです。
心より感謝しています、ありがとう。
心配してくれた会社の仲間にもありがとうと伝えたいです。

いつかまたどこかでお会いしたときに伝えられればと考えています。
皆さんがより幸福な人生であることを細やかながら祈らせていだきます。
(なんか怪しげな宗教みたいになってしまった…)

今後について

見知らぬ人も↑でわかるようにぼくは株式会社ジュピットを2016年10月30日付けで退職致しました。

とまれかくまれ、まずは実家のある京都へ戻って心身ともに静養することが第一目標になります、理由はクソ駄文を後述しています。
その上で持病との付き合い方やストレスと如何に上手く折り合いをつけていくのかという模索を行っていく予定です。

そしてこの30歳を越えた今このときだからこそ自分がエンジニアとしてやっていくのか、別の道を模索するのかどうか立ち止まってきちんと考えようと思います。
時間だけはたっぷりとありますので何かに急かされることなくきちんと考えたいと思います。

よく言われることですが5年後どうあるのか、10年後どうなっていて欲しいのか。そういった今までなおざりにしていたことをしっかりと考え直したいと思います。

仕事に関しては暫くの間アルバイトでもして日銭を稼ぎつつ、今後の職そのものについて考えていきたいと考えています。
個人でコードを書くのは別にして仕事としてエンジニアリングを行うのは暫くの間控えようかと考えています。

30歳すぎてアルバイト(しかも退職して)って世間一般からしても随分痛いなと思いますが、だからこそ今まで自分が絶対にやらなかった、でもちょっとくらいは興味があったことにチャレンジをしてみようかなと考えています。
正社員だったのが退職してアルバイト(30歳)ってだけで落ち武者みたいで十分恥ずかしいでしょうし、ならばそこに未経験が加わっても恥の上塗りでしかないのでいっそのこと盛大に塗りたくってみようと思います。

とにかくまずは生活習慣の改善と食生活をできるだけ早急になんとかしようと考えています。
ぼくは自分が短時間睡眠者(ショートスリーパー)だと今まで考えていたのですがまずそこを改善したいと考えています。
改めて考えてみるとぼくは睡眠障害者だったのかもしれないと最近思うようになってきました。
短時間睡眠でも足りているんじゃなくて短時間しか寝れていない、みたいな。その辺も医師と相談しながら改善していけたらなと考えています。

あぁ、それとこういう話題になるとどこからともなく湧き出てくる某氏がよく言われている瞑想の押し売りはお断りさせていただきます。
野菜を取る、睡眠をしっかりする、運動するなどの点はぼくも同意しますが瞑想がぼくにとってベスト、またはベターな選択肢かどうかわかりかねますし、それになりより瞑想ってなんやねん?という思いでいっぱいなので。

押し売りノーサンキュー。
(そもそも某氏が辿り着く要素がなさそうだけども)

以下、駄文未満なポエム

ぼくにとっては今まで働いてきた職場環境の中で最も働きやすく、辞めることなど考えられないような職場でした。
世の中で一番いいとは言いませんがぼくにとっては十分以上に魅力的な職場でした。

同僚とも「あそこがイケてないからこう変えよう」、「ここはもっとこうした方がいい」など日々改善されていく状況が楽しくあり、そして嬉しく感じていた次第です。
もちろん不満がないわけではなかったけれどもちょうど優秀な同僚が入ってきて会社の仕組みが変わりつつあったときだったので
「ぼくはその意見は賛成じゃない、だけどその決定に従うよ」というdisagree&commitな不満というよりは改善して欲しいくらいのものでしかありませんでした。

そんな会社を辞めることとなってしまったのは全く持ってぼくの責任であり、持病(?)である過敏性腸症候群によるものです。

ibsnet.jp

↑の「下痢型IBSにともなう症状」のほぼ全てに該当するような酷い状態でした。
町医者や大学病院へも通い、薬を処方してもらうなどの対策も行っていましたが実感としては殆ど変わったようには思えませんでした。
また今になって振り返ってみれば、ちょうど忙しい時期にたびたび会社を休んでしまったためその遅れを取り戻すべく焦って仕事をしていたように思います。

そんな状態を慮って総務の方が「休職しますか?どうしますか?」と聞いてくれたにも関わらず答えを保留してしまいました。
今にして思えばそのときに休職するなり、現行プロジェクトから配置転換してもらうなり、もしくは退職していればここまで酷いことにはならなかったのかなと思います。
今更言っても詮無きこと、後の祭りですが。

とまれ、そのような状況ではあったのですがボク自身は職場環境に対して非常に満足していたため、可能な限り復帰したいと考えてしまったのです。
結果からみれば一番の悪手を打ってしまったわけですが、そのときのぼくはまだ楽観的に医者にも通っていることだからきっと復帰できるだろうと思っていました。

しかしながら、その後も休みが続いてしまい、ついには実家のある京都から両親が来るわ(総務の方が心配のあまり連絡してくれた)総務の方があまりに心配なのでご自宅を訪問すると言ってくれるわと誰がどう見ても「もうどうにもならんだろ、これは」というところまで悪化してしまいました。

その段になってようやく阿呆なぼくも「あぁこれはもう復帰できないな、仮に復帰しても長く続かないだろう」と感じざるを得ませんでした。

今まで迷惑をかけていることを承知の上でそれでも復帰したいと言う考えとさっさと辞めたほうがいいのではないかという葛藤が拮抗していたのですが
急にストンと憑き物が落ちたように辞めざるを得ないという結論にようやっとのことで至りました。

そのときのぼくの心境は悲しいとか悔しいとすら思うことすらない、なにも感じない。もしかしたらなにかを感じるだけの余裕がなかったのかもしれません。今持ってこのときの感情というか感覚は理解できていません。
チープな表現ですが世界がモノクロに感じるだとか味気ない砂のようになってしまったとか、そういった感覚に陥ったのだけは確かだと思います。

復帰したいと強く願っていた状況からの急転直下だったためこれには戸惑っていた部分がありました。 復帰したいと強く願っていたはずの思いや辞めざるを得ない状態で悲しい悔しいなどの思いすらも抱けないようなまるで燃え尽き症候群のような伽藍堂とした寂寞のみが存在する抜け殻のような状態になっていたのです。
唯一、会社の皆に迷惑をかけたまま辞めることになり、申し訳ないなすまないなという気持ちだけがある、そんな状態でした。
ブコメあたりで迷惑かけんなさっさと辞めろよ!というマサカリが来そうですが全く持ってそのとおりだと思います。

その後、なんやかんやありながらも総務の方が親身になって対応してくださったおかげで退職の手続きは順調に進んでいきました。
そして先月末をもって退職ということになりました。

その間にも親とも話し合いなどして、京都に戻って身体と心を療養することと相成りました。
実は来月には妹が結婚式をあげることが決まっていたため、妹とその配偶者の方に対し情けないやら申し訳ないやらでなんと表現すればいいのかわからないような内心でしたが少なくとも今一人でいるのは危ないとボク自身も感じていましたし、父親もそう感じたのでそのように決まりました。
あのまま一人東京で過ごすことを選択していたらぼくは世捨て人になるか、最悪の選択肢である自殺を決意していたのではないかと思います。

茫洋としながらもその程度には心が摩耗しているように感じていたのです。
ボクにその死ぬ覚悟が出来るだけの弱さがあったかどうかはわかりませんが。

そのように日々を浪費していたときにとあるリマインダーが届きました。
それは響け!ユーフォニアム吹奏楽コンサートに関するものでした。
これはぼくの精神状態がまだ正常に動いていたときに購入したチケット、そしてそれらに関する細かな事柄を忘れないように当時設定していたリマインダーだったのです。

このリマインダーを確認した当初ぼくはこれに参加するつもりがありませんでした、ちょっと勿体無いなぁと思う程度だったのです。
お金をドブに捨てることになりますが、そんな気持ちに全くならなかったしそもそもストレスで身体を悪くし会社を辞めた人間が遊びに出かけるのは如何なものかと思っていたのです。
そのような話しをふと母親にしたところいつもと変わらぬ声音で淡々と「行ってきなさい」と後押しされました。
いつもと変わらぬはずの言葉が何故かこのときは強い意志を秘めているように感じたものです。

他方ぼくは強く拒否をするだけのなにものもなくしていたため、その言葉に従う形でコンサート会場に向かうことになりました。
この頃ぼくはなにをしても楽しいとか悲しいとかを感じることがなく、ただ寝て食うだけという生ける屍もかくやという状態だったであったのです。
母親がぼくのそんな状態を感じ取っていたのかどうかはわかりませんが、このことは後に母の偉大さを感じさせる一幕となりました。

さてそんな状況でしたので正直なところ元々はすごく楽しみにしていたはずのぼくの気持ちは冷めきっていました。
ところがそんなぼくに転機が訪れます。

友人がSNSに「件のコンサートに行くのだが一緒に行きませんか?」と前日にメッセージをくれていたのです。
ところがコンサート当日のそれもコンサートホールの目の前で初めて確認したボクはまず気づかなかったことを詫び、自分もコンサートホールにいることを伝えました。

この時点でぼくは「さすがに別の人を誘っているだろうし、この人数(狭い中で人混みがすごかった)では会うことも難しいかな」と考えていました。
その時の気持ちを吐露すると少なからず誰かに会うということそのものが億劫ですらありました。
あるいは億劫は適当ではないかもしれません。ただ会うことに対する引け目というか負い目というのかともかくそのようなものだけがある、そんな状態でした。

ところがさぁ開場だ人混みが動き出したぞと思い時間を潰していたところ前方にたまたま友人を発見したではないですか。
先程まで感じていた引け目のようなものはとりあえず棚に置き、知人とそのご同輩と思しき方に挨拶し一緒に入場列に並ぶ運びとなりました。
(今にして思えば、気負うことなく誰かと会話するのは久しぶりだったような気がします、家族との会話は負い目を感じていたので少し新鮮でした)

軽くぼくが退職し京都へ帰る旨を伝えるなどのなにげない雑談を交わしていたのですがなにやらぼくの心の中にあった重苦しい雰囲気が少し軽くなったように感じました。
そして入場する段になり、友人とは座席が異なるため会場に入って別れることになったのですが、そのおかげもあってか純粋にコンサートを楽しむことが出来たように思います。
友人が近くにいたら気を使っていたかもしれないですし、その逆に友人に気を使わせてしまうことになっていたかもしれません。 たまたまではありますが、結果としては最上だったのではないかと思えます。

さて久しぶりに楽しいと思うことが出来たコンサートが終わり、友人と合流しようかと思っていたのですが酷い混雑だったため友人たちは合流を諦めすでに帰っていました。
その際に友人がSNSで「また京都ででも会いましょう」と言ってくれたのですが、このなにげない一言がぼくを、ボクの重苦しい心の枷から救ってくれたのです。
なにがボクの心の琴線に触れたのかは未だ持ってなんなのかわかっていません。でもぼくはこの瞬間にこそ救われたと感じたのです。

これがもし友人と合流し、話し込んでいたらぼくはまだ心に重いものを抱え込んでいたのではないかと思います。
それは友人と自分を比べてしまう卑屈さや劣等感から来るものかもしれません、あるいはなにも感じることがなかったかもしれません。

たまたま友人と合流することが出来ず、なにげない一言が心に沁みる。

事実は小説より奇なりと言いますが小説に出てくるような劇的な言葉でなくても人は救われるのだなという思いとそんななにげない一言で救われるようなくだらなさがぼくの運命なのだなということが妙に面白可笑しくあったのだろうと思います。
なにはともあれ、ぼくの心にあった重しが随分と軽くなってくれたように感じたのです、これが事実でありそれだけがぼくにとって重要な事柄なのです。

あるいはこれがもっと親しい友人であったならばぼくはそのように感じなかったかもしれません。
もしくはなにも知らないほとんど他人のような人であってもなにかを感じることはなかったように思います。

近すぎず遠すぎない友人に「また会いましょう」と言われた、現象としてはただそれだけなのです。
でもそれがぼくの心の重しから解放することになった。

もうちょっとだけ続くんじゃ

母親がこれらのことを想像していたとは全く持って思えません、ただ塞ぎ込んでいるよりは外に出れば気分も変わるだろう程度の考えだったのではないかと思います。
ただそれでも母親がいってきなさいと言わなければなんだかわからない心の重みに耐えて漫然と時間を浪費していたでしょう。

ただ耐えることは美徳でも長所でもなんでもないことなのだと改めて思い直しました。
今月の24日(つまりは今週の木曜日!)には現在の住居を退去し、京都に戻ることになっているのですがようやく心機一転やり直すことが出来るような気がしてきました。
それまでは京都に帰っても同じことになるのではないかという不安が心の奥底にひたひたと滲み出るように溢れかえっていました。
今はもう全くそのようなことはない…とは流石に言いきれませんが殆どそのようなことを考えることはなくなってくれたのでなんとかなるんじゃないかという気がします。

ぼくは基本的に自分のことを最底辺のナメクジクソ野郎だと思っているのでこの心機一転した晴れ晴れとした気持ちがどれだけ持つのかわかりません。
それでもまたどこかで「なにげない一言」がぼくを救ってくれるのではないかと今は楽観的に考えれるようになりました。

ぼくは山月記に登場する李徴であるのかもしれません、もちろんぼくは彼のような秀才であることは望むべくもない凡庸な人間です。
(上中下で人の才能をわけたときぼくは中、それもかなり下よりの中に属すると評価しています。恐らくそれは多くの場合において外れていないだろうとも自負しています。)

あるいはだからこそ「傲慢で他人に頼ることを良しとしない自身を過剰評価する愚か者」であると感じる李徴を好ましく思っているのかもしれません。
まるで我がことであるかのように。
人縁や友人に恵まれている点だけは李徴のような優れた人にも引けを取らないと自負していますがね!
もしかするとだからこそぼくは山月記が好きなのかもしれません、きっと自分の愚かさが李徴を通して見え隠れする様が滑稽に思えてならないのでしょう。

心の弱さというのは目に見えず触ることが出来ないので厄介です。
今後参っているな、心が摩耗しているなと感じたら李徴を通して自分の愚かさを見直していけたらなと考えています。

最後に

この話を嘘だとか作り話だと感じた方もいると思います。
文才のないボクがわかりやすくするために曖昧な記憶を元に書いていたり多少の誇張を入れるなどをしていることは否定しません。
ぼくの文章構成力ではそうでもしなければ文章として成り立たなくなる気がしたのでそうしただけです。

またこのように思われた方に対し、ぼくはこれを反論する気がありません。
何故かって肝心なのはぼくがこの一事によって救われ、心機一転やり直すことが出来そうだというただそのことだけが重要なのです。
それを嘘呼ばわりされようと作り話だと罵られようとご自由にどうぞという以上のものを抱けないのです、なのでご自由にそう思っていただいて構いません。

あぁ、ここ数日ブログを書いてるじゃないか、なにも感じないならこれらを書いているのはおかしい!と主張される方、なるほど確かにこれはいい指摘であると思います。
この件に関してはぼくなりのストレスとの付き合い方の模索であり、誇張していることを認めざるをえないですね。
だけどぼくだって心の死んだような時間を常に過ごしているわけではないのです。
もしそうならぼくはもっと早い段階で命を断つ覚悟をしただろうと思います。
心が死んだようになっている時間が多くなっているだけであって、全くないわけではないのです。
死にかけた心でも水泳のクロールのようにたまには息継ぎをするのです。ボクの場合はただそれがブログを書いたということに過ぎないのだと思います。

あるいは凪のようなと形容するのが正しいでしょうか。 波を起こすほどではないが水面が全く揺れていないわけでもない、そんな感じだと思ってください。
ボクにもあまりよくわかっていません、ただなにかを吐き出したかったという欲求にしたがっただけなのです。
なにかで吐き出さないと壊れてしまうという生存本能が働いたのかもしれません、事実はぼくにもわかりません。
ただ目の前にPCがあり、インターネットに繋がっておりたまたま目にした情報で引っかかりを感じたものを吐き出した、恐らくはただそれだけなのだろうと思います。
それがたまたまブログという形をとっただけなのです。

こんな恥ずかしいポエム投稿しやがってここはチラシの裏じゃねえんだぞ!という方がいるかもしれません。
これに関してはそもそもここはぼくのチラシの裏です。 あなたのチラシの裏じゃないのでそういった批判はあなたのチラシの裏でご存分に書いてくださいと返させてもらいます。
もちろんボクの知らないところでやってくださいね、どのような批判をされるのか知りませんが、恐らくあまり良い気がしないことは間違いないでしょうから。
どうかボクから見えないところでせいぜい気炎を上げていてください、それに関してはお好きにどうぞなすってください。

そしてまたこのことで心が弱っている方や自殺を考えている方に周りの声に耳を傾けろとか外に出て人と会うべきだなどといった主張もしません。
ぼくはたまたまなにげない一言で救われましたが、恐らくはこれが普通ではないだろうとも考えるからです。
逆にそれらを主張することで弱っている方々を追い詰めることになるかもしれないとすら考えています。
なのでそういったことを伝えるのは控えていただけると助かります、主にボクが罪悪感を持たずにすむという一事において。

以上、京都に落ち武者よろしく逃げ帰るナメクジクソ野郎の駄文未満なポエムでした。

しばらく、インターネットを控えていたせいでぼくのことを心配してくれた方々ありがとうございました。
ぼくは元気にやっていけそうです。