おうさまのみみはロバのみみ

ネット上での木の洞

悲しい、悲しいポエムな話しをしよう。

世間では一般によく「不況のときは手に職をつけている人間は強い」という話しをされる。 1度くらい聞いたことある人もいるのではないだろうか。

ぼくは今までプログラミング、エンジニアリングというのは手に職をつけているという認識だったのだけども どうやらぼくの家族にとってはそうではなかったという事実が発覚した。 より正確にはなんだか得体のしれないものだという認識なのだろうという印象を受けた。

どうやらぼくの転職活動はパソコンを使って遊んでいるというように感じられていたようだ。 転職活動にしてもボク自身はインターネットを使って応募したり書類審査に進んだり、面接・面談にいきそれなりに行っていると考えていたのだけども その姿がどうにもフラフラと転職活動もせず、パソコンで遊んでいるように見えていたらしい。 (Twitterやブログ、プログラムの写経を行ってもいたのであながち全てが全て遊んでいないとは言わないが。)

正直なところ怒りを覚えるという感情はなくて 今まで自分が築いてきた知識や技術を全否定されたようで非常に悲しかった。 今までのぼくの10年はゴミのように捨ててしまえるくらいの価値しかなかったのか…と。

そんなときにたまたまTL上に↑が流れてきて偶然ながら同じ結論に達した。

「ああ、全く持ってその通りで結局のところぼくがわかりやすい結果を残せていないから遊んでいるという認識なのだろうな。目に見える成果をあげねばならぬ!」と。

残念ながらぼくは優れたエンジニアではない、努力はしているつもりだが結局のところ実績を残せていないし結果に結びついていない。 少なくとも自分が作ったプロダクトでいくら稼いだ、ぼくは一晩でこんなに稼いだんだ!というようなわかりやすい実績を残せていないのだ。

実際のところはそうでないと思うがぼくの家族はそう考えていたということだし、恐らく世間一般の評価もそうなのだろうと思う。 だがしかし、OSSなどに貢献したり書籍の1つも出版できるようなエンジニアであれば結果は違ったものになったのかもしれない。

家族の言によるならばぼくが今まで築いてきた技術力や知識は

郵便局のアルバイトよりも価値が低く、工業高校で電気工事士などについて学ぶことよりもなお低く、土方や運送会社のセールスドライバーのほうが余程マシ

…という評価なのだと知った。

非常に悲しい。 家族に理解されないということがこれほど悲しいことなのだとは思わなかった。

一方、悲しいがこれはひとえにぼくの実力不足だからだろうとも思う。 もちろん実際のところはそこまで卑下する内容ではないのだと思う、全く持ってぼくが何も残せていないとは思っていない。 そうでなければ今まで働いた会社やプロジェクトに対して失礼な話しだ。

ぼくの家族にとってはエンジニアリングによる効率化よりも 例え非効率的であったとしても身体を動かして働くことのほうに重きが置かれているだけなのだ。 (いわゆる苦労することに価値があると考えるタイプの人間なのだ、ぼくから言わせれば愚かな発想だと思う。)

  • 「面談・面接に行くのに相手が私服でいいといったからといって本当にいくなんて!普通はスーツでいくものだ。」
  • 「同じ能力だったならスーツと私服ならどうみたってスーツの人間を採用するのが人事というものだ。」
  • 「仕事なんて楽しいものじゃない、苦しむのが当たり前だ。」
  • 「いつまでもエンジニアのような頭を使う仕事は出来ないだろう、若い優秀なひとがドンドン採用されるのにお前は将来なにがしたいんだ。」

恐らくは助言なのだろうと思うが、このようなことを言われた。 上の2つに関してはそのような判断で選考から落ちるのであればそれは落ちたほうが幸せだ、むしろ逆に採用されてしまうことのほうが困る。 文化的にもそうだし、思想的な部分でも恐らく相容れることはない職場で働くのは苦痛だろう、と考えていた。

下の2つに関しては少々衝撃が強かった。 ぼくは今まで嫌な職場や仕事がなかったとはいえない。 だけれどもエンジニアリングやプログラミングは楽しかったしモノづくりに携われることやそれらの技術を学んだり試せることは幸せだと感じていた。 最初は気に入らないとしてもそのうち仕事が楽しくなるものだと思っていたのでこの発言には強く衝撃を受けた。

恐らく世間一般としてはぼくの考えるようなことではないのかもしれない。 わざわざ選択肢を狭めているという愚か者で、楽なことしかやりたがらない怠け者だというふうにぼくは見られているのだろう。

そこには途方もない意識の断裂があってきっとぼくが生きている限り埋めることはできないのではないかと思う。 ただぼくが10年エンジニア、プログラマーとして培ってきた知識や技術が手に職をつけていないと言われたに等しい言葉を家族から投げかけられた事実には深く傷ついた。 恐らく言ったほうには傷つけたことすら自覚がないだろう。

何気ない、身内ゆえの親切心でいわれたであろう言葉の刃が身に沁みる。 苦労したということは確かに大変だろうと思う、でもそれはあくまで過程の一部でしかないのだとぼくは考えるのだけどもどうやら家族の意見は違うらしい。

ぼくに非がないとは言わないし思ってもいないが不当な評価をされたように感じてしまう。

悲しい、実に悲しい話しでした。

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