ぼくは才能がない、あるいは中途半端にあるということ。

響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、波乱の第2楽章」を読了した。 響け!ユーフォニアムはアニメも劇場も読んだが今作がもっとも心を揺さぶる小説だった。 まだ残り2ヶ月ほどあるがぼくの中でベスト・オブ・ジ・ブックが本日確定した。

少なくともぼくが今までの人生で読んできた小説、本のなかで5本の指に入るくらい衝撃と心をかき乱した傑作だと思う。 響け!ユーフォニアムは本当に人間描写というか心理描写が見事の一言に尽きる。 この余韻が薄まらないうちに心のなかに渦巻く感情を吐き出しておかなければならないという衝動にかられて書いている。

元々ISUCON7予選に参加する予定だったのでそのあとにご褒美的なものとして終わってから後顧の憂いなく読み耽る予定でいた。

当初、1冊目を読んでいるときには普通にいつもの読書感想文を書こうと思っていたのだが、2冊目を読んだところで考えが変わった。 読書感想文はまた別で書くか、あるいは書かないかもしれない。 とりあえず読んでいて感じたり考えたエモい文章を羅列しておく。 多分あとで読んで恥ずかしくなり死にたくなるタイプの文章なのでノイズが多いことだと思う。

また、小説を読みながらその時その時で思いついたことを書き出しているので取り留めがない点と話しが飛ぶ点は容赦願いたい。 またこの話しはいわゆるネタバレを多分に含んでいるため、それがいやなかたは回れ右してほしい。

結論:

さて、普段の読書感想文ではなく何を書くのか?という話だが端的に言ってしまえばポエムである。 しかもネタバレを含んだポエムだ、これほど酷い話もない。

しかしながら、今作を読んで改めて「自分は何になりたいのだろう?」と考え直すきっかけを得た。

さて、まずは結論から入ってしまおうと思う。

ぼくは今作を読んで改めて「プロになりたい」と自覚した。 獏っとした表現になってしまうがそもそもプロとはなんなのだろうか?

お金をもらっていればプロなのだろうか?

顧客の望むもの、あるいは超えるものを作り出すのがプロだろうか?

よく巷で語られるプロフェッショナルとはなんなのか?

フリーランスのように自分の実力だけで食べていける人間はプロか否か?

ボク個人はこれらに対する解答は自分で見つけたものだけが真実であり、普遍的な答えがないのが正解だと思っている。 ではぼくが考えるプロとはなにか?

  • 顧客では出来ないことを技術的な課題を解決することの出来る人間、チーム、あるいは会社。
  • そして組織に所属しなくても十分に生活することが出来る技術力を持った個人。

この2つの条件を両方満たしている人がぼくにとってのプロなのだと考えるに至った。

とはいえ、元々の考えと改めて考え直しただけなので然程時間がかかったわけではないのだが。

努力と苦悩

自分には才能がない、とは誰しもが1度くらい考えたり感じたことがあるのではないかと思う。 少なくともぼくは自分にプログラマ、エンジニアとしての才能を感じたことはない。

今作のユーフォニアムがなにをテーマにしているのか?と問われたらぼくは努力が生み出す懊悩だと思う。

今作はさまざまなケースで努力、あるいは努力する吹奏楽部メンバーの苦悩やそれにまつわるストーリー実に詳細に描かれている。

恐らくは似たような経験が著者の武田綾乃氏にある、あるいは見聞きしたのだろうと思う。

例えば毎日遅くまで残って練習しているが努力の仕方が間違っている、努力しているように見えるほうが評価される。 実力は劣るが努力している先輩のほうがコンクールに出場したほうがいいなどなど吹奏楽に限らず社会に出てからも似たような話しは枚挙に暇がない。 そういう意味でも今作はいろいろと自分にとって考えさせられる作品だったと言える。

最初にいうとボク自身のエンジニアとしての力量は決して高くないと見積もっている、せいぜいが中の下か下の上だろう。 だからこそ努力していると思っているし、その努力の効率が多のエンジニアに比べて悪いとも自覚している。

だからだろうか、数こそ少ないが映画やアニメでは泣いたことがあった。 ただ数多くの感動作と呼ばれる小説を読んでも心がワクワクしたり、動くことはあっても泣くことはなかった。 目に涙が浮かぶ…くらいまではいったことがある。

だが生まれて初めて小説を読みながら涙が出た。 悲しくてではない、それでは泣きはしなかった。 誰かと自分を重ね合わせてか?それもない、ユーフォニアムには登場するさまざまなタイプの人物が登場するが特定の誰かに自分を重ね合わせるような感情移入の仕方はしたことがない。

では何故涙したのか? 自分自身でも半信半疑であるのだが恐らくは悔しくて泣いたのではなかろうかと思う。

自分はこうはなれなかった、それが悔しくてもどかしくて涙がでてしまったのだろうと思う。 もっと上手くやれたはずだ、もっと上にいけたはずだ、後悔の念が生まれては消え、そしてまた生まれるという感情の渦が発生し結果涙という形で現れたのではないかと思っている。

だからだろうと思うが滂沱したというよりはギリギリまで注いであるカップから水が1雫溢れおちるようにふつりと涙が流れたっきりだった。

恐らくこれは直近でISUCON7というイベントがあったことも無関係ではないだろうと思っている。

目に見えない努力というかたち

後編の330ページ以下のような一文がある。

額からにじんだ汗が、顎を伝い落ちただけだった。なんだかぞわぞわする。肌寒さが全身を覆い、なのに肝心の身体の中身は空虚しか詰まっていない。何も考えられず、思考はがらんどうだった。突き出された現実に久美子はしばし茫然となった。

この一文を今読めたことをぼくは感謝するべきなのかもしれない。

文章自体に特別な点は恐らくない。 話しの流れも恐らくは特別なことはなにもないだろう。

しかしながらぼくはこの一文の前の状態から胸がドクドクと波打ち、何十分の一かはわからないが久美子たちの緊張の一端と思いを共にしていた。

これは先日行われたISUCONで似たような緊張を味わったからこそだろうと思う。 これがなければ本作がここまで味わい深い感想にならなかったと思っている。

そしてその後の展開でぼくは自問自答することとなる「ぼくは彼、彼女らほどISUCONと真剣に向き合っていただろうか?」と。 もちろん部活動とISUCONでは意味が全く異なると思うし、それにかける時間だって全く異なる。 だけど一瞬、ほんの一瞬だけそう考えてしまったのだ。 そして一度考えてしまったものをなかったコトにすることは出来ない。

ぼくはこのことを直視せざるを得なくなってしまった。

無慈悲な才能という壁

またしても後編になるが以下の文章を読んで心の琴線が揺れ動いてしまった。 191ページ目の指導をサポートしてくれる橋本という男性、アニメでも登場したので覚えているひともいるのではないかと思う。

「ぼくは君に対しては『高校生にしては』言いたくないねんなぁ」

この一文を読んでぼくは「非常に残酷な一言だな」と感じた。 恐らくは「君」以外であったならこの一文は生まれなかったはずだからだ。 そしてぼくは「君」側の人間ではない、だからこそ感じ入るところがあったのだろうと思う。

他にも似た感情を想起させる一文がある、ページ247の以下のものだ。

「みぞれより自分のほうが上手いって、思ってたかった。だって、みぞれよりうちのほうが絶対に音楽が好きやんか。苦労してる。つらい思いもしてる。それやのに、みぞれのほうが上なんて」

この一文を読んだときぼくはみぞおちの辺りに重いものが突然発生したように感じた。 まるで我がことであるかのように感じたからだ。 もちろん状況としてぼくとでは努力の総量、質が全く異なるのだが頭の中で一瞬でも考えたことがないか?と言われたら否定できない自分がいるのだ。 醜い、直視したくない自分の汚いところがありありと噴出してきて「何故ぼくではないの?」と一瞬重ね合わせるところがあった。

氷菓で有名な〈古典部〉シリーズにも福部里志の屈託として似たようなシーンがあるがあちらは明言を避ける形で苦悩と屈託を表現していた。そういう意味ではより直接的な心を抉ってくる一文だと感じた。

「そのときにわかったの。みぞれは、選ばれた人間なんやって」

そして最後のこの一言が諦観と自分の複雑な気持ちを実に上手く表現していると実感した。 つらい、認めたくない。でもあまりの実力差を認めざるをえない。 持たざるものだからこそ、持つもののまばゆい輝きを認めざるをえないのだ…と強く実感させられた。

ぼくは響け!ユーフォニアムのキャラクターはだいたい好意的にみている。 ただし1人だけ例外がいる、それが先程から登場している鎧坂みぞれという人物だ。

嫌う理由は色々あったと思うだがこれだ!といえるのは「特定の誰かに強く依存しすぎている」点が気に食わなかったのだろうと思う。

ここだけリアリティーが抜け落ちたように感じていたのだ。 こんな人物がいるのだろうか?他の登場人物は多少の誇張はあれどもその辺の高校に探せばいるのではないかと思わせる人物ばかりだ。 それはあの田中あすか先輩にしてもそうだ、あそこまで完璧超人はいないだろうがそれに近い人物というのはいるだろうと思っている。

一点、この鎧坂みぞれはそうではない、物語めいてぼくの目には写っていたこともあり、違和感が拭えなかった。 今まで読んだ響け!ユーフォニアムのどの人物にもそのような感情を宿したことがなかっただけに純白のキャンバスについた真っ黒な染みのように写っていた。

それが今作で印象が反転した。 魅力的である、とはいえない。少なくともまだ…。サイドストーリーなどで後日談があれば更に変わるかもしれないが。

だが汚点であるような印象やリアリティーにかける印象はくるりと手のひらを返すように評価を変えた。

少なくとも鎧坂みぞれに対するネガティブな感情というのは綺麗サッパリ消えてなくなった。

音楽とシステム開発似ている

ハッカーと画家をぼくはまだ読んだことがないが恐らく音楽とシステム開発は似たようなものなのかもしれないと今作を読んで感じた。

1人でも音は出せる、楽譜通りに奏でることもできるだろう。 でもそれは合奏が生み出すハーモニーとは全く次元のことなる表現方法だ。 そして、それはシステム開発にも当てはめることができるのではなかろうかと思う。

以前なにのpodacstであるかは定かでないが響け!ユーフォニアムはチームビルディングの話しである。といった感じの発言を聞いたと記憶している。 当時のぼくは「そうね、メンバーのモチベーションもバラバラ本気で全国いきたいやつ、そうじゃないけど周りに合わせているやつ、辞めていくやつ。色々いるしあれこれ胃が痛くなるような人間関係の問題や技量的な問題がでてくるもんね」と軽く考えていた。

それはそれで正しいのだろうと思う。 ただ今作は努力の価値やその方向性という意味でいろいろと考えさせられる部分が多くあり、先のチームビルディングの話しを思い出させた。

才能あるものだけが選択できる未来

ぼくたちがウンコードを生み出してもお金をもらえて生活できているのはぼくたちの仕事が持ち得る幅が広く、なによりも分母が大きいからではないかとこのことからふと考えることになった。

もし音楽家のように誰もが自分の書いたコードを把握できてしまうような状態であったならウンコードを書いた人間は死にたくなる思いにかられるのではなかろうか。 その人は次は二度と同じ過ちはしない!と強く思うかもしれないし、もしかしたら自分には才能がないと諦めて別の道を模索するかもしれない。

もし機械がプログラムを書くのが当たり前になれば音楽家と同じようにぼくらの大半の才能がない人間は目指すことすら諦めないといけない状態になるのではないか?

それは恐ろしい、とても恐ろしい話だ。 だが同時に悪魔的な魅力もあるのではないかと感じてしまった。

いままでのぼくならそれは素晴らしい世界だと素直に感じられたと思う。 だが今作を読んだあとでは素直にそれだけを歓迎する気持ちにはならなかった、胸中複雑ではあるがマーブル模様のようにモヤモヤとしたものを感じている。 その上でぼくはやはり機械がぼくらの職を奪っていくべきだと考えているつもりだ。

かつてはプログラマも音楽家と同じくらい狭き門だったのだろうと思う。 それが一般にPCが普及し、扱える範囲が爆発的に広がったことでぼくたちは専門家の基準を満たさない人間でも生活できるようになってしまったのではないか。

将来、ぼくたちはかつての馬丁や水夫のように消え行く存在なのかもしれない。と改めて深く考えさせられた。

そういう意味ではこの時代に生きる人間の特権のようでもあるし、今作を読んで改めて考える機会が出来たのは良かったのではないかと思う。

まとめ:

まあまとまらんよな?という思いなのだが。 才能というのはやはり悲しいかな厳然たる事実としてぼくの前にあって、努力すればいいというものではないよなと改めて思った。

努力の方向性を間違えればそれは努力していても意味がないわけではないが目的は達成できない。 努力の質が低ければ無駄に時間を費やすことになり、これも目的は達成できない。

努力とはなんであるか?目的や目標を達成するための手段である。 努力の総量が足りていたとしても周りに才能があり、同じように努力していればこれまた目的を達成することが出来ない。

最後に341ページの吉川優子部長の言葉を引用したい。 いや心情的にはここで読んでほしくはない、本文を是非とも読んで感じたままに余韻を楽しんで欲しい。 だがこれを語らずにはいられないという思いから引用させてもらう。

「去年は滝先生がきて一年もたってへんかったけど、今年は二年目やん。去年に比べて、そのアドバンテージがある。上手い新入生もいっぱい入ってくれた。やけど、負けた。うちらが弱くなったんじゃない。ほかが、強かった。」

ピンクリボンの優子。

登場当初はクソウザいキャラクターだなと思っていたがあれよあれよという間に好感度がトップクラスのキャラクターに成長していった。

この「ほかが、強かった」で一度区切った辺りに苦悩や懊悩が読み取れて非常に悔しいという心情が伝わってきた。

ぼくも「やりたいこと」に対する貪欲さが足りていない、もっともっと貪欲さを表に出さないといけない。 それは驕りであり、慢心なのだと改めて学んだ。

あまり引用はしたくなかったが心が痺れる一文なので引用とその感想を述べて〆とさせてもらう。

次回作の響け!ユーフォニアムも大変楽しみにしている。 是非ともグサグサと心を抉るより、感情を揺さぶる良い作品を書いて欲しい。