おうさまのみみはロバのみみ

ネット上での木の洞

チームの能力の下限は誰が決めるのか?

まず最初にこれは過去の経験からぼくが現在考えている仮説でしかない点を留意してほしい。 タイトルがあおり気味な点は懸念しているがこの課題の仮説を考えたときに適切なタイトルがこれ以外に思い浮かばなかったためそのまま採用している。

チームの能力の下限とは

いままでに体験したチームの中でこんなに能力の高いひとがいるのになぜこのチームの能力は低いのだろうか?と感じることが幾度かあった。 最近ふとした現実逃避を行った際に「これはチームメンバーの最も能力が低い人間に依存して発生する問題ではないだろうか?」と思い至った。

理由として「水は低きに流る」ではないがレベルの高い方にあわせるよりも低いほうに合わせるほうが簡単だし速い。 急激な成長が見込めない以上レベルのが高いメンバーが低いレベルにあわせるほうが合理的だと考えたからだ。

しかし例えばこれが新人だった場合はどうか? この場合新人は伸びしろと成長速度の早さからこの問題に適応しにくい存在であると仮定できるのではないかと考える。

犯人はヤス

つまりチームの下限を決めるメンバーというのは「そこそこ経歴が長く年齢もある程度あるメンバー」ということになる。 そしてスタートアップやベンチャーなどの能力至上主義でもない限りこの手のメンバーというのはそれなりのポジションにいることが多いように思う。

例えばリーダーやマネージャーのようなポジションだ。 もしそのような発言権の強いポジションにチームの下限を決める、あるいはそれに近いメンバーがいた場合、これはチームの能力に対する枷になっている可能性が非常に高いと思う。 単純に年齢が高いだけではそう感じることがないのでやはり勤続年数が1つのキーワードなのではないかと思う。

ボトルネックが組織の下限を形作る?

つまり、そのボトルネックとなるメンバーのカバーできる範囲でしか行動が許可されないため能力的に高い人間が挑戦しにくい環境を作ってしまうと考えられる。 少なくともぼくの経験上、良いマネージャーはある一定以上の能力値を誇っていた。 だからこそなのかは因果関係がはっきりしていないがその下で働くときに不自由さを感じることが少なかった。 ところが下限に近い能力のマネージャーのもとで働くと檻の中で働いているような感覚に陥ることがある。

これは選択できる幅の差ではないかと考えている、能力が高い場合は挑戦をしても最悪マネージャーがカバーをしてくれるという安心感がある。 ところがそこに信頼がないマネージャーと働いている場合、全て自分で解決する必要があるため心理的安全性を確保するために安全方向にマージンを取ってしまい結果として無難な選択肢を選ぶこととなり、それが檻の中で働いているという比喩表現に繋がるのではないかと考えた。

スキルアップのモチベーション

閑話休題

ぼくたちエンジニアやデザイナーは他の職種に比べて精力的に自己学習、自己研鑽に励んでいるように感じる。 これはつまるところ、自己のモチベーションであるところもあるが現状を打破するためには技術力が必要であると感じているためではないだろうか?

もちろん「こんな会社転職してやる!」とか「もっとレベルが高くなりたい!」という個々人の動機はあると思う。 会社や組織をよくするために自己研鑽に励んでいるつもりはないと恐らく多くの人が考えているのではないかと思う。 それはそれとして結果としてそれこそが現状の組織の課題であると認識してはいないか?というのがこの疑問の趣旨だ。 つまり能力の下限を引き上げなければ自分たちにとって良い未来が訪れないと感じるところがあるということだ。

そう考えたときに組織のフェイズが重要な要素になるとぼくは考える。 サバイバルフェイズのように目の前のタスクに追われ続けていては能力の下限に対する改善は行えない、これはほぼ間違いなく実行に移せない仮に計画しても中折れしてしまうか中途半端に行い有名無実化するのが関の山だろう。 結果、成果のレベルが上がらず同じようなサイクルを延々と回し続けるというつらい状態を継続してしまう。

会社組織としてみたスキルアップ

急成長したスタートアップやベンチャーが勉強会やカンファレンスなどでスキルアップに対して肯定的であるのはこの点にも一因があるのではないかと考えた。

エンジニアやデザイナーに対する福利厚生としてだけではなく、それが結果として組織の能力値の下限を引き上げる効果があると理解しているのだとしたらサバイバルフェイズでいつまでも燻っている企業との差は凄まじいものになるのではなかろうか。

業績などの目に見える部分以外のところで歴然たる差を生み出しているように感じる。 だからこそさまざまな企業や組織がサバイバルフェイズから学習フェイズへの移行、そして自己組織化への改革へと手を伸ばしているのではないだろうか?

どうすればよいか?

「チームの能力の下限が低い」という課題があったと仮定してではどう対処するのがよいか?

多くの場合、急激な成長が見込めないメンバーこそが下限の原因であると考えていることは先程述べた。 であるならば急激な指導や教育は逆効果であると思われる。 何故ならば彼ら彼女らはいま現在でも困っていないからだ。

困らないからこそ能力が低くても、自己研鑽に励まずせいぜいが現状維持レベル(少なくとも当人はそのつもり)をしているのだと考えられる。

であるならば本人の自由意志で勉強会の参加や自己研鑽を待つのは正攻法ではない。 ある程度強制的に参加させ、どういう課題があるかを自覚させるように持っていく。 それによって目的意識や目標が漠然とながら生まれる。

それらがないままに強制的に学びの場に打ち込まれても寝てるか、そっぽを向いているかのどちらかだ。

これがアメリカのような契約社会だったならば「お前はクビだ」の一言で済んでしまうのかもしれないが ここは日本なのでその対応は現実的でない、また勤続年数がそこそこあるメンバーにその発言はしにくいだろうと思う。

なのでまずは強制的にでも能力値を上げる、少しでも上がればその分業務の負担が減る。 業務の負担が減ればその分自己研鑽などに当てる時間が増える。 このサイクルをとにかく回していくしかないのではないかと思う。

ここで重要なのは勉強会に参加させることが能力の下限をあげることではないということだ。 勉強会に参加しただけではなにも能力には寄与しない、発表をする、手を動かすことで初めて「かしこさが1あがった」状態になるのだ。 ここを勘違いして講師役の人から内容を聞いただけでやった気になってしまう人がいるかもしれないので念のため注意書きを残しておく。

まとめ

  • 特効薬はないのでまず下限にいるメンバーを調教する
  • 中長期的な対応が必要になることを自覚する、一気に全てをひっくり返すことは難しい
  • 何が問題であるのか?仮設を立てて検証、実行することこそが肝要