危機感の話+

lacolaco.hatenablog.com

先日、らこらこ氏のエントリを読んでめちゃくちゃ「わかるー!」って思ったんだけど 微妙な点で差異というかぼくも同じ気持ちだったが最近少し感じ方や考え方が変わった部分があるな、と思いはてなブックマークに書こうと思ったが どうやっても100文字にまとめられないのでこっちで書くことにした。

とはいえこの文章もあと5年くらいしたあとでみたら「バカなこといってんな…」くらいの温度感でみるか「ぐおおおお削除削除削除おおおおお!」ってなるかのどっちかだなって気がするのでまーこの当時はこういう考えしてたんだなって感じのログです。 単一のログそのものには意味はない。

共通点:

らこらこ氏のような一線級のエンジニア、スパロボだとエース級パイロットな人とぼくを比べるのもどうかと思うがそれはそれとしていくつかの共通項目があったのでまずは前提として洗い出しておく。

  • コンピューターサイエンスの教育を受けたことがない
  • 高度な教育を受けた人間がちょっと参入してくればあっという間に淘汰されるという危機感
  • 何をしても足りてない気がする

結論:

書いてたら思いの外文章量が増えてしまったので結論を上に持ってきた。 詰まるところグダグダいってないで凡人なら凡人らしくあくせく努力しろ、というのがぼくの中での結論だ。 凡人がなんの前触れもなく優秀な人間にジョブチェンジできるのはラノベ異世界転生ものくらいなので、現実でそうありたいと思ったならまあやるしかないよねって点につきる。 この業界、優秀なひとほど歩みを止めてないので凡人が止めたら追いつくのすら困難になっちゃうし頑張るしかねえよな!って感じです。

コンピューターサイエンスの教育を受けたことがない

ぼくは文系大学に入学してその後中退してゲームの専門学校に進んだという経緯なので ある意味でコンピューターサイエンスの教育を受けていないわけではないのかもしれない。 とはいえ当時のゲームの専門学校というのは往々にして目の前の、悪くいうなら小手先の技術を教えることが多かった。

学校側のカリキュラムの問題というよりはぼくの学校の制度の問題で圧倒的に時間が足りなかったためだと思っている。 なので納得はしているのだがやはり大学などの情報工学を学んだりした人間に比べてアカデミックな知識や背景が弱い、そしてなによりも体系的な知識が歯抜け状態になっているとプログラミングに携わってきて多々感じる。

現場で鍛えてきたと言うのかわからないが少なくとも体系的に学んでこれたわけではないため、プログラミングするのにこの知識を知らないの?ということが多々あった。 例えばPHPでコード書いてるのにLinuxを知らない、MySQLがなにかわからない、そもそもどういう仕組みなのかもわかっていないなどなど。

このあたり、学校で勉強しているひとは強いと思う。 知識の基礎部分がしっかりと出来ている、つまみ食いでなんとか凌いできたぼくとの違いを感じることがある。

高度な教育を受けた人間がちょっと参入してくればあっという間に淘汰されるという危機感

全てにおいて言えることだが基礎は圧倒的に重要だ。 土台のしっかりしていないものは上層に向かうほどに不安定で不確かな状態になってしまう。 この点高度な教育を受けている人が参入するとあっという間に置いていかれるのでは?と専門学校に入学して間もないくらいから感じてはいた。

まして知の高速道路が日々すごい勢いで整備されており、異業種からの転職ながらも優秀なエンジニア/デザイナーで活躍しているひとの話しをみるにいつも危機感と焦燥感を感じている人は少なくないだろうと思う、ぼくもその1人だ。

ましてぼくは頭が良くない。頭がよくないというか平均点は取れるかもしれないが応用問題が解けないタイプの人間だ。 つまり応用問題が解けないということは基礎問題をしっかりと理解していないということの証左だと思う。

そういえば先日こにふぁーさんが書いていた地頭の良さに関する所感で「問題解決能力と問題発見能力と問題を集約させる能力がある≒地頭がいい」だと思っているとブコメに書いた。 そしていま改めてふと考えたときに「この基礎問題がきちんと理解できている」は大前提として入っていそうだなと感じた。 大前提として基礎問題は完璧に理解が出来ていてその上でどういう能力があるのか?という話しに繋がっていそう。

応用を知らなくても基礎がわかれば解ける…なんかそういうイメージがある。

konifar-zatsu.hatenadiary.jp

閑話休題

つまり、ぼくが曲がりなりにもいまプログラミングでご飯が食べていけているのは先行者特権のようなものだと思っていて5年後にはぼくくらいの能力なら機械に任せたほうが速いし品質が良いとかいう未来が来そうだなと思っている。 なのでそういう意味において学歴コンプレックスとはちょっと異なるかもしれないが引目というか負い目というかコンプレックスがある。

もし、大学で情報工学の道に進んでいたらいまよりももっと優れたエンジニアになっていたのではないか?という心のなかにしこりがある。

何をしても足りてない気がする

優秀なひとって年齢や経験年数に影響されないひとたちだとぼくは考えていて、例えばぼくは10年ほど曲がりなりにもプログラマとして働いてきたわけだけど優秀かと言われると首をかしげる。 無能ではないかもしれないが優秀といえるほどではないと自覚しているからだ。

一方、優秀な学生という存在がいる。 経験年数は1年とかなのにぼくよりも深い知識や広い分野を体験としてしっかりと持っており平均値ゾーンから大きくはみ出している逸材だ。 絶対数は当然のように少ないのだが彼ら彼女らは雨後の筍のように毎年ポコポコと生まれてくる。

そうするとベースとなる能力値の差を経験で補っているいまの状態では半年もあれば追い抜かれるどころか追いかけるのすらしんどい、そのような気持ちになることがある。

微妙な違和感について:

とまあこのようなネガティブな面においてかなり読んでいて我が事のように感じながら読んでいた。 ではどこで差異が生まれたのか?だがこれは簡単でぼくは恐らく「追い抜かれていくことに対する諦観」が生まれてしまっているのだと思う。 つまりは若くて有能な人と比較される基準に満たない人物なのだというある種の諦めを抱いているのだと思う。

昔は優秀な若者≒同年代だったので「まだ時間はある頑張るぞい!」とか同じステージに立つことを目指していた感があるけど最近は自分が満足できるレベルのステージ以上でプレゼンスを発揮できればいいかなという感じに思考が変わってきた。 ネガティブな捉え方をするなら挫折したということなんだろうけどあまり自分のなかでそういうネガティブさは普段は感じない、たまに凹むことがあったり朝起きて鬱い感情になってるときにふと思うくらいのものだろうか。

どちらかというと同じステージに立つことは目的ではなくてなにを成したのか?が目的にシフトチェンジしたのかなと思ってる。 この戦場では彼ら彼女らに勝てない、だったら勝てる戦場に行きましょうね。くらいの比較的軽い気持ちでいる。

彼ら彼女らは確かにすごいし、すごいことをしているがぼくだって捨てたもんじゃないですよ!くらいのことを言えるように日々悪戦苦闘しているつもりだ。

自分が高度なコンピューターサイエンスの教育を受けていたらどうなったか?

これに関する答えはほぼ出ていてほぼ間違いなく何も変わらないと思う。 もしかすると逆に挫折してプログラミングを職とすることを諦めていたかもしれないとすら考えている。 何故こう考えたかだがまあ普遍にして明らかなのでいうまでもないことだが「やるやつはいつ、どこで、どんな状況でもやる」からだ。

例えばぼくは大学のコンピューターサイエンス科にいっていない。それどころか大学すら満足に卒業していない。 これを打破するのは実に簡単で入学して卒業すればよいのだ。

ところがぼくはそれをやっていない、やりたいという気持ちはあるものの行動に移していない。 これはつまるところやる気がないということだと思う。

よくTwitterとかで就活している学生に「プログラミングに興味はありますがプログラミングしたことはありません!ってひとやる気ないなら帰って」みたいなことを言ってるかたがいると思うんですよ、ぼくもそうなんですが。 年齢制限があるわけでもないし、試験さえ突破してお金を払ったら入学できる大学のコンピューターサイエンス科を受けてすらいない時点で結果は変わらないと思うんですよね。

もう1つの理由:

もう1つ理由があって必ずしも「大学でコンピューターサイエンスを学んだ人間が自分よりも優れているとは限らない」ということですね。 基本的にはコンピューターサイエンスを学んだ人のほうが自分よりも適正や能力値の伸びしろはいいとぼくは考えているけども 昔取った杵柄で怠けてしまうと日進月歩な速度で進んでいく時代に取り残されていくと思っていて、つまりはイソップ寓話における「うさぎとかめ」のようなものだと感じている。

実際に大学のコンピューターサイエンス卒な人が同僚にいたのだが恐らく大学を卒業したあとにきちんとスキルセットを磨いてこなかったのか、ある時点での知識で更新が止まっていた。 ただ業務ではそれでその人は困らない、困ってないと思ってるのでわざわざ更新をしてこなかったというパターンの問題だ。 周りのひとがどう思ってるのかはわからんし、業務が上手く回ってるならそれはそれでありなのかなとは思う。 ただボク自身の感想だと技術職としての成長を諦めたら技術職辞めたほうがいいし、辞めるべきかなと考えている。

よくSEのブラックジョークネタにされているけどこの世の中には本当にこういうひとが実在している。 能力が下だと思っている人と比較して悦に入るのはゲスの極みだと思うが、これは別の受け取り方も出来るなと思っていて スタートダッシュには失敗したがコンスタントにきっちりスピードを維持していればある一定地点でその差はほぼないものにできるのではないか?とここ何年かで考えるようになった。

脱線:

ちょっと話しが脱線するが以前なにかの読み物?で「自分よりちょっと劣っていると思う人はだいたい自分と同じくらい、自分と同じくらいだと思ってるひとは自分よりちょっと上、自分より優れていると感じるひとは遥か彼方」という表現を知ったのだがこれかなり当てはまるなと思っていて、それ以降自分より少し劣るくらいの人をみると「自分はこのレベルなのでもっと頑張らないとないかんなあ」みたいな奮起の材料みたいになってる。

まとめ

つまることろ自分の努力の質と量に比例するのでスタートダッシュはあまり気にしなくてよくて、それよりはいま自分がどれくらいやれているのか?どれくらいプレゼンスを発揮しているのか?を定量的に測るのがベターなのかなと最近考えている。

なのでこの悩みの大部分は無意味だというのがぼくの結論、悩んでもいいけど結局やることは1つだよねって延々思考がループしてる。 追い抜くひとはどうやったって追い抜いていくし、追い落とされるひとはどうやったって追い落とされる。 なのであとは自分が先頭集団にどれくらい食いついていけるか、どうやって先頭集団に食い込むか?かなと思ってる。

なので「何をしても足りてない気がする」というのは真理というか圧倒的に正しくて、多分常に飢え続けていかないといけないし足りるということは満足するということでその瞬間から置いていかれるんじゃないかと思ってる。

まーこんなこと誰だってわかってるのでことさらに言葉にしないのだろうけども。

追記:

そういえばらこらこ氏、結婚おめでとうございます! らこらこらこらこ〜 :)