会議をしない会議術

何故

TeamGeekや海外のエンジニア事情などの書籍をここ数ヶ月に連続してみて
今現在の会社での会議の状況などから個々人が「会議をしない技術」を身につける必要があるのではないかと感じた。
会議自体は気軽に行えるべきだが、その時間はごく短くあるべきだというのが基本思想。
特に1時間を超える会議は無駄といっていいと考える(もしくは準備不足)。

内容

  • 会議の質について
    • 会議の質と時間はトレードオフ
      • 長いと質は下がり、短いと質が上がる(一概には言えないとは思うがそういう努力をすべきということだと思われる)
      • 少なくとも短い時間で会議を終えようとするならば長時間の会議を行えばその分質が低下している、もしくは詰め込みすぎていると言える
    • 会議の時間:会議のための準備の時間 = 3:7、もしくは2:8の割合がベスト
      • 会議のための準備にこそ時間を費やし、会議そのものはさくっと終わらせる
        • 仮に1時間の会議だとしてそこに5人参加していればそれは1*5hourで5時間拘束されるという考え
        • これが10、20人になると1時間会議をするだけで20時間も使っていることになる、本当にそれは必要な時間か?
  • やらなくていい会議に出席しない
    • TeamGeekなどの書籍を読んで驚いたが海外(日本以外?)だと参加者が「参加しなくてもいいんじゃないか?」と感じたら主催者か他の参加者に「自分はこの会議に参加する意義がないと思うので参加しない」と意思表明するみたい。
      • 日本的な会議だと一応だとかとりあえずみたいな感じでやたらと人を増やしがちだけどそもそもそのコストが無駄だという合理さがアメリカっぽい
        • そもそも年に何回あるかわからない「念のため」に定期的に時間を無駄にする、そのコストはきちんとメリットに見合っているのか?多くの場合コストに見合わないしそういったことがあるのであればそれは別途別の会議を設けるか、別の手段で情報共有すべき事柄だと思われる
      • 会議をする価値を求められるのが物事をシンプルにするし全体告知するような必要や情報共有を行うのではあれば別の会議かそもそも議事録で保管されるべきという思考は非常に共感できる
        • 参加する基準に発言が1度もなかったらその会議は参加しなくてもいいという考えがあるみたいでわかりやすい基準だなと感心した
  • 見ればわかる/ググればわかる内容は説明しない
    • 個人的にはこれと真逆の行為を敢えて行っていたのだけど(情報共有になると考えていた)これを行うことで会議が長引くことを考えると確かにマイナスかもしれない
    • TVなんかだとコメンテーターなどが知っていて当たり前のことを専門家などに視聴者の代わりに質問するというような話しを過去に聞いてそれを真似ていたつもりだったがそもそも会議の場合は無駄だと言われたら反論の使用がない。
  • 参加者を絞る
    • ↑の例でも散々述べているが参加者が多ければ多いほど会議は踊るのでそういう意味でも絞るということには非常に大きな意味と効果がある
    • 問題はどこまで絞るのか、また意見があるものが参加者でなくても「今回は参加したい」という表明が出来る文化があるかどうかが焦点な気がする。

まとめ

  • 会議の時間は短く、会議の準備はじっくりと。
  • 会議の参加に疑問があれば参加しない
  • ググッてわかるようなこと/みればわかるようなことは質問しない
  • 参加者=最低参加人数になるようにする
    • 但し特別に報告や今現在発生している問題や上層部に対して一家言ある場合は参加できるような文化が必要

感想

こうしてみると当たり前な内容だけども今の社内の会議だと幾つか当てはまるところがあるし
そこは改善していければもっと効率的になるのかなと感じた。
とにかく長時間の会議は「なにかをやった達成感」が発生することがあるが
よくよく考えてみると全くなにも達成していないし、その疲労度は決して無視できないものがあると思う。
情報共有がきちんと機能していれば全員が参加する必要もないし、本来議事録の機能的にはそうあるべきだろう。
逆に議事録を見ても情報共有が出来ていないのであればそれは議事録に問題があるのだ。