老害プログラマの戯れ言

割りとよくゲーム業界などで囁かれる「昔ほどゲームをやらなくなった/熱中しなくなった」現象について考えたのでここで自分なりの分析を内容を書き出しておく。
なお、対象者があくまでもボク個人なので一般的にどうなのかとかは知らん。

あと昨今のゲーム業界の事情なんかも多少なりと絡んでくるのでその辺はダラーッと流してくださいな。
なんか話し飛躍しすぎじゃない?と思ったとしてもあくまで歩きながらボケーっと考えてたことなのでぼくの脳内連鎖反応にまで責任取れないです。

ゲームやらなくなった

多分プレイ時間でいうなら大人(社会人)になってからのほうが年間トータルのプレイ時間は増えてる。
以前、小・中学校生のときは瞬発的なプレイ時間が飛び抜けててそのイメージが「ゲームをやっていた」という脳内認識になっているのだと思う。 

小・中学校のとき、少なくともボクの家庭では年に最大2回ゲームソフトを購入してもらえなかった。
当時、今からおよそ20年くらい前の一般的なゲームソフトの購入数とかしらんけど多分みんな似たような感じじゃないかな。

お小遣いを貯めたり、ゲームをクリアしてゲームショップに買い取ってもらって中古のゲームソフトを購入したり、友達に自分がもってないゲームを貸し借りしたりなどなどしてたけど
それでも年間4本以上のゲームソフトを購入していたとは思えない。

ただ当時発売日に購入して3日で40時間超プレイしてゲームクリア→買い取ってもらって別の中古のソフトを買いこれも1週間ほどでゲームクリアして→(ryみたいなことをしていた覚えがある。
だいたい3ループ目のゲームを購入したら買い取り額と購入額の差がどうやっても埋められなくて3ループ目でFinishしてたと思う。
酷いときは2ループ目でFinishしてたりもしたと思う。

24hour * 3dayで74時間なんだけどもそのうち40時間近くゲームプレイして、学校に通ってた記憶があるので
当時どれだけ睡眠時間を削ってゲームをプレイしていたのかが窺い知れる、というか寝ろ。
それでも年間40hour * 2~4 = 80~160時間なので
去年プレイしたディスガイア5だけでプレイ時間がおおよそ500時間くらいだったと思う。
やはりプレイ時間単体で比較した場合は昔よりもプレイする時間自体は伸びている傾向にあるっぽい。

ただ購入後から短期的な期間に限定した場合(ボクの場合購入から1週間以内)では確かに昔の頃のほうがプレイをしているという結果になる。
今は1つのゲームを長く楽しんだり、1つのゲーム自体は20時間くらいだけど購入数が以前の倍ほどになっているみたいな状態になっているんだと思う。

経済的事情や熱中度なんかが密接に関係してると思うので
一般的な「ゲームをやらなくなった」はボクの場合当て嵌まらないと言える。

熱中出来なくなった

原因は多分色々あるとは思うけど感受性の低下や今流行のゲームのトレンドと個人的趣味嗜好がマッチしてないことが大きい要素なのかなと思う。
特に趣味嗜好のマッチに関しては今の本流はどちらかというとカジュアルなゲームが好まれていると思うのであまりマッチしていなくて熱中できないのかなと思っている。

スマートフォンのゲームアプリなどがまさしくボクにとってはそうで画期的で面白いと感じたパズル&ドラゴンやドラゴンポーカーなど幾つか仕事柄触れてきたが
長くても1ヶ月くらいがだいたい限界だった。

多分これはスマートフォンでゲームをやるという操作性が気に食わない(ゲームをするというUIに最適化されていない)というのと
そもそもスマートフォンアプリなどはスキマ時間に遊ばせるというスタイルなので
自分の好みと合致していないのではないか?という気はする。

他にも昔と比べて興味の分散化が大きな要素の1つなのかなと思う。
例えば小・中学校の頃に熱中出来るものというのがボクの中では「ゲーム、読書(漫画・ラノベ・一般小説などなど)、部活」くらいのものだったので1つに割ける熱意のパーセテージが高かった。
それに比較して今はどうかというと「ゲーム、読書(漫画・ラn(ry)、フットサル、自転車、プログラム、テニスなどなど」という感じで興味を持つ対象、
より正確には興味を持てる対象の範囲が拡大したことにより相対的にパーセテージが下がってしまっているのかなと感じる。

ターゲット層のズレも多分にあると思う。
あくまで大人も楽しめるゲームというのはあると思うがボクが個人的に気になる、もしくは好みとして購入するゲームがJRPGが多いためというのも原因の1つではあると思う。
今でもクロノトリガーバハムートラグーンといった当時最高に遊んだゲームは楽しめるけどもそれらの本来のターゲット層というのは小・中学校くらいだと思う。
大人でも楽しめると大人が楽しむでは意味合いが全く異なると思うので三十路を迎え、
もはやおっさんの境地に達したぼくにはその年代層をターゲットとしたゲームにかつてほど感情移入しにくくなったのではないかと思う。

アニメなんかでも昔は感情移入先は主人公やその周囲にいる同年代くらいの子どもだったわけだけども
ここ5年くらいはその主人公の親世代に感情移入することが多かったので感受性の低下というか感じる先の対象が変化したのかなという気がする。
それによって本来の楽しみの何割かしか実感できず、かつてほど熱中できていないのかなと思う。

スマートフォンのゲームアプリやソシャゲとかつてのコンシューマのゲームとで比較するならば楽しませ方のアプローチも異なると思う。
スマートフォンのゲームアプリなどはいわゆる継続的に楽しませるコンテンツを提供し続けるというアプローチをしていることが多い。

それがぼくには心理的負担になっている部分が多少なりともあって、「このゲームを楽しむためには定期的に配信されるイベントを常時こなさないといけない」みたいな強迫観念があって
実際にそうであるか?と問われるとそんなことはないのだけども、そう感じてしまうこと自体がボク自身には興ざめする原因の一端を担っているのかなと思う。
これはネトゲなんかでも感じたことで、実際にそのような強制感はないのだけども自身が勝手にそう感じてしまう、それによってやる気が失せるという現象が発生していた。
そこを何かしら乗り越えてしまえば楽しめると思うのだけどもどうにも生理的なのか心理的なのか、はたまた別なのかわからないけどぼくは受け入れられなかった。
ネトゲで起こったことと全く同じことがスマートフォンのゲームアプリなどでも起こっているのかなと思う。

それに比較してコンシューマは自分のペースでゲームが進められるのでそのようなストレスがない、ここがボクにとってコンシューマとそれ以外のゲームの大きな差であるように感じた。
今はDLCなどがあるし、そもそもパッチをDLすることが出来るので条件が正確な意味では異なるが
かつてはリリースしてしまったものは回収する以外で更新をかけることが出来なかったため
コンテンツを最初から全て提供するというアプローチになっている、やるのもやらないのも全て自分でハンドリング出来るというのがぼくにとって最適なゲームの提供のされ方なのだろう。

そういう意味ではソシャゲやスマートフォンアプリなどもハンドリング出来るのだけど、そういったイベントの情報を自分から取得しに行かないと存在を確認出来ないというのと
常時目立つ場所に表示されるのではボクの中では隔絶したストレスの有無がある、ぶっちゃけていえば見たくないものを見せられている気持ちにされるのだ。

結論

ゲームやらなくなった論

  • ゲームのプレイ時間だけで見れば増えてる、但し購入後1週間のプレイ時間は確かに減少している
  • 経済的事情、今は自分の裁量でゲームのハードウェアもソフトウェアも自由に買える

熱中出来なくなった

  • ここ数年流行りのスマートフォンのゲームアプリは操作性が気に食わない
    • どれだけ最適化しても自分にとってゲームのハードウェアに対する最高のUI/UXは十字キー+4つボタン+R/Lボタン。多少のハードウェアの仕様違いはあれどこれがほぼ黄金比的なものだと感じる
    • PCにおけるキーボードとマウスのUI/UXに近いものがあると思ってる
  • 興味の分散化
    • 経済力の向上に伴い、興味を持てる範囲が拡充したため全体総量からのパーセテージが下がってしまっていると思う
  • ターゲット層のズレ
    • おっさんが少年少女世代の主人公に感情移入するのは難しいものがある
    • おっさんでも感情移入できるものもあるかもしれないがそれはどちらかというと例外的存在
  • 自分のペースでゲームが楽しめない…という強迫観念に襲われる
    • ネトゲでも発生していた問題なので、このようなタイプのゲームと相性が悪いのだと思われる
    • コンシューマの販売アプローチと相性がよく、ネトゲスマートフォンアプリなどのアプローチとは相性が悪い

こういう脳内妄想を歩いてる最中や自転車で走ってる最中によく考えるんだけども
全くもって誰得なチラ裏な妄言な割にはなんかしらでアウトプットしておきたい欲求に駆られるので非常に困る。
内容自体はクソなので読む価値がないのもまた問題だという…ね。