とりとめのない話し

最近ソフトウェアエンジニアとしてのライトスタッフ(正しい資質)というものを考えることが多くなった。 それは多分購読しているエンジニアブログやテックブログに内容にも多々影響を受けているのだと思う。

しかるに「ぼくはエンジニアとして正しい資質を持っているのか?」と問いかける機会が以前に比べて格段と増えた。 答えからいうと過去から現在に至るまで「全くもって資質なし」というのが変わらぬ解答なのだが それはそうとして今年でプログラムを書いて給与をもらう職についてよりおよそ10年ほど経つ。

ぼくが学生の頃に聞いたプログラマー35歳定年説まであと2年ほどだが幸運なことに2年後もプログラムは書いていけそうだといま自信を持って断言できる程度には環境と仲間、そして職場のメンバーに恵まれており大変ありがたいことだと心の底から感じている。 しかしながら、そうすると資質がない人間が10年もの間、1つの職業を継続することができるのだろうか?という疑問が湧き上がった。

さてそんなぼくなのだがプログラマーやソフトウェアエンジニアを目指そうとする学生、あるいは未経験職種に挑戦しようとする人に対してまあまあ上から目線でアドバイスを頼まれもせずに勝手にしていることがあり、そのたびにスターエンジニアと呼ばれるひとならまだしも何故自分ごときが偉そうに講釈を垂れているんだろうか?と考えることが増えた。 思うにこれが歳を重ねるということなのだろう。

その中でアドバイスをするたびに引っかかることがある、それが冒頭に書いたライトスタッフ、正しい資質というわけだ。

ぼくはいわゆる「エンジニアに向いていない」と自覚している。 おそらくぼくをよく知る人間は「向いている」とは言わないだろう。

ぼくがいままでのエンジニア人生で身につけたことやものというのは結局のところ努力すればある一定伸びる能力ばかりだということだ。 能力に依存したスキルではなく定量的に増やすことが可能なスキルでこの10年働くことができているといえる。

これからのソフトウェア業界がどうなるのかは正直さっぱりわからない。 ただ自分が「エンジニアに向いていない」ことは明確なのだが10年後も同じ業界で働いていそうだなとも感じているところがある。

それが何故なのかを考えたときに「考えることが好き」であるからではないかという仮説が思い浮かんだ。 もしかすると理系であるとか文系であるとか、ロジカルシンキングができるとかはあまりエンジニアとしての適切とは関係のない属性なのかもしれないと最近感じている。

プログラマーの3大美徳よりも実際はもっとシンプルで意識的、あるいは無意識的にでも常になにかを考え続けることができるひとならば誰もでも正しい資質をもっているのかもしれない。

そんな感じのことを考えていたりする。 答え合わせをしたいわけではないがなんとなく最近はそんな感じで腹落ちしているので自分の中でそこそこ納得のいく答えが出たなという感じです。