初めての転職における迷いと決断、そしてその後

#「迷い」と「決断」

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ってことだったんだけど迷いと決断かー。 自分の場合なんだろうか?と考えたときにまず最初に思い浮かんだのはなんといっても最初の転職だったのでその時感じていた迷いや葛藤、そしてどうやって決断したのか。 またその結果どうなったのか…を書くのがいいのかなと思った。

めちゃくちゃポエミーな文章を書いている自信があるのでもしかするとあとで消すかもしれない。

まとめ

初めての転職は不安が大きいです、ひょっとすると就活よりも不安という意味では大きいかもしれないです。 最近だとTwitter転職などという方法もあるみたいですが個人的にはまずそういった知見が豊富な人材エージェントや知人でごくごく最近転職をした人に相談するのが良いだろうと思います。 あるいはコミュニティーや勉強会、カンファレンスなどにいっているならそこで自分の悩みを吐露することで的確なアドバイスがもらえるかもしれません。

もらったアドバイスは一度どこかにメモしておく、いつでも目に見えるところに貼っておく、置いておくことが重要です。 ふと忙しくなり、目を背けたくなるときにそれらのメモをみることで自分の中の決断スイッチに火がつくかもしれません。

ですが決断とは燻っている火を大火にすることに似ていると思っていて自分のなかの不安や不満があるとき爆発する瞬間というのがあります。 その爆発する瞬間というのは常に外部からの刺激です。 いろんな方にあってください、いろんな方の考えに触れてください、いろんな方と話してください。

それがあなたの決断に火を灯し、なにかを変える行動につなげてくれるはずです。

迷い

最初の会社に働いていたときのぼくの状態を一言で表すとアルバイト社員ということになる。 正社員ちゃうやんけ!というツッコミどころ満載なのだけど一応説明しておくとこの会社の説明では試用期間中はアルバイト扱いになるという話だった。 3ヶ月の試用期間を終えると正社員待遇になるのでそれまでは我慢してほしいということだった。

当時は「そういうもんなのか?」と思っていた(いまは知らないけどその当時は求人で似たようなことが書かれたものが多かった)のでOKしてしまった。 そうOKしてしまったのだ。

で、専門学校2年目の秋頃だったと思うんだけど内定をもらったときに「すぐにアルバイト社員として働いてほしい」と打診される。 正直な気持ちとしては「なんのために新聞配達して学費稼いでると思ってんだよ。その金ドブにすてるようなこと出来るわけ無いじゃん!」とか思ってた。 ……んだけど「一緒の寮に住んでいた友人がOKを出している(あとはわかるな?)」と暗に告げられたも同然の圧力を受けて渋々OKすることになってしまった。

専門学校では一通りゲームに関する制作の知識として簡単な2Dグラフィック(いわゆるドット絵)を自分で作ったり、MIDIでゲームに使う音源を作成したり、当然プログラミングの勉強も行っていた。 ただその内容は多分いまのゲームの専門学校や情報系の大学、専門学校とは異なってると思うんだけどBASICだとかC/C++でコードを書いていた。 2年時の後半にJavaアセンブラをやるカリキュラムの予定だったんだけど上記の理由からぼくはそちらに参加できていない。 学校側も内定予定の企業へ有償インターンという体で出席扱いと同等の扱いをしてくれていたんだと思うがいまなら学校いってから数時間だけアルバイトする方法を選ぶと思う。

なお会社で扱ったのはいわゆるLAMP環境といわれるもので「Linux + Apache + PHP + MySQL」だった。 Apacheに関してはNginxのようなものと思ってもらえればいい。実際は違うけどここでは説明しない。

環境そのものは当時のWeb業界で広く使われている構成であり、あまり目新しさはなかったと思う。 ごくごく妥当な環境だった。

さてここまでが前段でここからが迷いポイントなのだけど迷いポイントはこの最初の会社で働いてからやめるまでの間に何度かある。

迷いポイント1: ここで働きたくないでござる

当時ゲーム業界は残業当たり前、残業代支給なくても当たり前。残業代でるとか甘えるな!みたいなことを公然と言う人がまあちらほらいた。 好きなことして給与もらってるんだからそんなの当たり前だろ!みたいなね。

当然アルバイト社員のぼくも残業代はなかった。 「もらえないんですか?」と聞いたことがあるんだけど「うちは日給制だから」と言われてそういうものなのか?と不満に思いつつもそれ以上追求しなかった。

ぼくの心境としてはあまり長居はしたくないがスキルアップしたといえるまでは我慢して働こう……と当時は考えていた。 いま考えると「めちゃくちゃ青いな!w」って鼻で笑ってしまうんだけど転職活動をしてもやっていけるだけの自信が当時はなかったんですよね。 あと趣味といえるゲーム業界ですら多少の我慢が出来ないのであれば社会で生活していく、働くというのが難しいのではないか?みたいな不安もかなり大きかったです。

やったことがないから杞憂なことを考えて結果として入社(実質的にはアルバイトとしてだけど)してしまいました。

他にも理由はいくつかあるんですが当時ぼくはコンシューマゲームが作りたかったんですがこの会社はかつて開発していたが入社時点ではすでに手を引いていたことが後に判明します。 その段階で頭の片隅に「辞める」というワードが生まれたんですが就活、やられたかたはだいたいわかると思うんですがめちゃくちゃしんどいですよね。 もう一度あの状態になりたくない、またお断りメールを受信したり決して裕福な財布事情でないのに面接いったり履歴書書いたり、写真取ったりのお金がボディーブローのようにじわじわ真綿で首を絞められるようなのは嫌だと安易に考えてしまう気持ちがわかるんじゃないでしょうか?

ぼくはそうなりました。 当時のぼくは学校(のちにゲーム会社)と新聞配達の2足のわらじを履いていて学費を賄い、かつ生活基盤の寮に住んでいる新聞配達をサボることがほぼ実質的にできないという強迫観念下にいました。 新聞配達というのはなかなか休みを取るスケジュール管理が難しくて、他のメンバーとすり合わせをしながら休むことになるんですが就活をすると「休み=就活」にしないとそもそも面接にいくことすらできないという状況になってしまうんですね。

これに大変苦労したのでぼくは迷いがありつつもこの会社に入社することになりました。

迷いポイント2: 働いても働いても生活が楽にならない

好きな仕事、好きなプログラミングをしてお金を稼げる。

これめちゃくちゃハッピーなのでは?!……と最初は思ったんですよねー。 勉強しながらお金が稼げて、しかもゲームが作れちゃう!最高じゃん!みたいな。

結論からいうとほぼ休み無し、休日出勤のオンパレード、なのに給与は実質固定給なので増えない。 めちゃくちゃ堪えました。 貧乏暇なしなんて言葉がありますがあれは心理ですね。

貧すれば鈍するという言葉もありますが、疲れてくると自虐的な方向に心がシフトしてしまい

「自分がこんなに苦労するのは実力が足りないからだ」 「正社員になればきっとこの苦労も一時のものだったと笑えるはずだ」

とか考えてました。 社畜的精神思考とでも言いたくなるような状態ですね。

お金って心の余裕を生む最高のツールなんですよ、明日の生活の心配をしなくていい。 最悪会社が潰れたってなんとかなるというのは非常に大きいんですが当時のぼくにはそれがなかったわけですね、ウケる。

当然このままでいいのだろうか?と悩むことになり、早く帰ったときなどは自宅でPC立ち上げてプログラムの勉強をしたり、通勤中に技術書を読んだりしていました。 元々の帰る時間が遅いので睡眠時間を削るしか無いのでよりフラフラになっていたことを覚えています。

そして約束の試用期間3ヶ月が終わりました。 直属の上司から呼び出しを受けたときのぼくの内心を言い表す言葉がないほど浮かれていました。

ところがその第一声は「きみを社員にすることはできません」というものでした。 理由としては「実力が規定達していない」「仕事中の態度に問題がある」「頑張りが足りない」といったものでした。

当時の睡眠時間は月の平均が3時間ほど、それも休日に死んだように昼まで寝てそれだったので「頑張りが足りない」と言われたことに大変ショックを受けました。 正直ショックすぎてはっきりと覚えていないところがあるんですが大体そのようなことを言われた覚えがあります。

ぼくとしては1日の決して長くない睡眠時間を更に削って自学にあて、そのうえ通勤中も眠い目をこすって技術書を読んでいるのに「頑張りが足りない」ってどういうこと?と悔しいのやら悲しいのやらつらいのやらわからない涙が滲みました。 ここでぼくの心はポッキリと折れてしまいます、南無〜。

迷いポイント3: やりたくない仕事が増える

プログラマとして自分が3流なのだと落ち込んだぼくはとりあえず目の前の仕事をこなすことがスキルアップにつながるだろうと考えました。 それはある面では正しかったのでそれなりに自身の成長を感じることができました。

暫くの間は立ちながら寝落ちするくらい眠気と仕事の板挟みになりつつも「いつか別の会社にヘッドハンティングされるくらいになってやろう!」と考えていました。

ところがどうやら会社の風向きが変わってきたようです。 直属の上司と一緒にクライアントのミーティングに参加するようになったときその異変の前兆があったのだとのちに気づきました。 このときのぼくの肩書は「アシスタントディレクター」というものです、ディレクションとかやってなかったんですけどね。

初めてのミーティングは参加しているひとがいう「このDBのレプリケーションが…」「サーバ構成のこの部分にボトルネックがあって…」と謎ワードが頻発しました。 議事録を取ることを事前に上司から依頼されていたぼくはとにかく聞こえる単語を羅列していくのですが議事録に書かなければいけない情報、書かなくていい情報などわかるわけもなくみんなが喋っている内容を全てメモしようとして結果半分ほどしか書き残せないという状態になりました。

最後にあまりに喋らず必死にメモ(当時ノートPCを持ってなくてペンと紙で頑張ってた)していたぼくにクライアントのリーダー格のかたが「なにかわからないところや困ったことはありませんか?」と聞いてくれたのですが間髪入れず「みなさんがなにいってるのか全くわからないです」と答えてしまいその帰り道めちゃくちゃ上司から叱責を受けました。

当時担当していたのがプログラムのみでMySQLがどういうものか、Linuxがどう動いているのか、Apacheとは何をするものなのかそもそもプロジェクトの全体構成がどうなっているのかを知らないのですからわかるわけがないんですが、上司いわく「クライアントの前でいうやつがあるか!」ということでした。

いやだって知らんもんは知らんし…、だったら行く前に事前に説明しろよ!と思うのもむべなるかな。

その後の作成した議事録も「意味が通じないことが多すぎる」と怒られが発生し、3時間くらいやり直しをさせられました。 ぶっちゃけ泣きたい気持ちで書いていたし、その後のメールの文章も推敲されて結局議事録とメールの本文書いただけで終電になっていたのを覚えています。 殺意ってこうして醸造されるんだなとぼんやり考えていたのを覚えています、だいぶ精神的にやばかった。

その後上司とミーティングに参加することを何度か行い、慣れてきたあたりで今後上司が行かず、ぼく一人で行くことになりました。 今後のやり取りの窓口もぼくになることが決定します。 この段階でまだ働きだして半年ほど、プロジェクトに関わるようになって4ヶ月ほどだったと思います。

結果、いままで書いていたプログラムの仕事は減らないがクライアントとのスケジュールややり取り、バグ報告やお問い合わせなどが降りかかり体感で1.8倍くらい仕事が増えたように思いました。 実際にはバグ修正は同僚が助けてくれたり、いくつかの新機能実装は上司がやったりしていたのでそこまで増えていたわけではないと思うんですが明らかに帰る時間が遅くなり、プログラムを書く時間が圧倒的に減りました。

このあとからユーザのバグ監視のためという理由で毎日2ch、いまでいうところのTwitterエゴサをさせられたんですがあれは精神が病むし、ハゲるかと思うくらいつらかったです。 絶対に、なにがなんでももう2度やりたくない。

決断

突然決断スイッチが核融合爆発する

そうして1年ほどアルバイト社員(!そう当時まだ社員ではなくアルバイト社員だったのだ。給与も増えないのに仕事と責任は増える、ふっしぎー!)で働き、仕事の半分をプログラミング、もう半分をディレクションと言うなの雑用行っていたところ全社員に対して通達がありました。

「今後プログラミング業務は徐々に減らし最終的にディレクションだけで売上を立てる」

要約するとそのような内容でした。 それを聞いてぼくは内心激怒します。

「2年間も新聞配達してプログラミングを学んだのにたった1年、実質期間としては半年ほどで捨てなければいけないのか!」 「それは果たしてゲームを作っているといえるのか?スキルアップのために今まで我慢してきたことはなんだったのか!」 「俺がやりたかった仕事はそんなことじゃない!」

そんなようなことを考えていましたね。 会社としては当時ベトナムへのオフショア開発が流行っていたこと、プログラミングの仕事よりもディレクションのほうが儲かること、実は自社で開発していることになっていたが実際には別会社に孫受け禁止の案件を開発させてそれなりに潤っていたなどなどの理由で決定したみたいです。 最後の理由は事実だけどめちゃくちゃダークな話しですし、当時これは駄目なのでは?と思いながらぼくも加担してしまった一員なので非常に下請けのかたには申し訳なく思っていました。

専門学校あがりのたかだか社会人1年目にプログラミング歴10年のベテランが「なんでスケジュール通りあがってこないんですか!」とか叱責しているのを想像してほしい。 無茶振りをして「俺たちはクライアントなんだから言え!」という上司の命令に従ったことを割といまでも後悔している。

とまれかくまれ、このときに「よし、この会社でスキルアップするのは不可能だ」と見切りをつけることになります。 そこからは転職活動を始めるまで早かったし、辞める意思を伝えるのも早かったですね。

本来は在職中に転職先をみつけるのがベストなんだと思うんですが毎日残業残業でとてもそのような時間を見つけられなかったので辞めてから転職活動をしようと決断しました。 会社に辞める意志を伝えると「契約社員に登用するので考え直してほしい」「このプロジェクトや次のプロジェクトが決まってるのに無責任ではないか!」「少なくともいまやってるプロジェクトがリリースされるまでは留まってほしい」などなど言われます。

ぼく自身も関わったプロジェクトの最後を見届けたかったということで最後の条件だけOKを出したんですがこの段階では1ヶ月後に退職予定、長くとも1ヶ月半の見込みということでした。

結論からいうと4ヶ月伸ばされた上に退職日に「お前!次のプロジェクト決まってるのに何辞めようとしてんだよ!」と言われてどうでもええわ!となってガラケーから上司と会社の電話番号、メールアドレスを着信拒否することになりました。

その後

退職するに際して当時社内で唯一尊敬できた先輩に「プログラミングしたいなら今はゲームよりもWeb業界のほうが書けるよ」とアドバイスをもらうことが出来ました。 実際にはそんなことはなかったと思うのですが当時ITバブルが弾けたものの今後もこの業界は伸びると見込まれて様々な会社が勃興していた時期だったので間口が広く当時のぼくのスキルでも受け入れてくれるところが多いのはWeb業界だったということだろうと思います。

この会社にいてよかったと思えたことは2つあって、1つがこの尊敬できる先輩から助言がもらえたこと。 もう1つがぼくよりもあとに入ってぼくよりも先に辞められたデザイナーのかたがぼくが好きだったゲームのクロノクロスでデザイナーのかたで当時の裏話を聞かせてくれたことです。 こういうのは流動性の高い業界ならではなのかもしれないですが、純粋に1ファンとして楽しかったです。

なお他はクソで褒める価値なしというお気持ちです。 直属の上司に至っては事前に聞いていたのか前述の全体告知の前に退職してクライアントの会社に就職してました。

殺してやろうかな?と考えたことを覚えていますし、いまもって恨みに思っています。 なーにが「ぼくが1度試用期間で落としたから本気で頑張ったでしょ?今の成長はあれがあったからだよ(笑)」じゃ!死ね!!!

二度と会いたくねえ。

閑話休題。 ともあれその助言に従い、Web業界に転職をします。

それまでは忙しすぎて実績として提出可能なものがなく、また当時いまのようなAWSVPSレンタルサーバの存在を知らなかったのでそういったものでアピールするというのが難しかったです。 ブログを書くのも当時はぼくのようなスキルレベルの低い人間が書いたものが読まれないならばまだいいが、間違っていて怒られが発生するのではないか?と戦々恐々してました。

いまなら怒られたら直せばいいかなと思えますし、なんならQiitaなどでコメントや編集リクエストが来るでしょ! 来ないなら読まれてないので別にどうでもいいな、と思えるくらいにはおじさんになれたなって気がします。

運良くその後はWeb2.0だ!スマートフォンだ!IoTだ!とWeb業界は変遷の激しい業界としていろいろなイベントが発生し、ぼく自身もいまだにプログラミングを書いておまんま食べられています。 いまのところプログラマを辞めないと生活できない、という空気は皆無でむしろプログラミング能力を伸ばさないと食いっぱぐれてしまうぞ!?みたいな危機感があります。 出来るところと出来ないところはきちんと見定めないといけないとは思いますが。

またエンジニアやプログラマな友人知人も増え、その縁で会社の訪問や面接、困ったときに相談できたりといまでは以前の状態というのが非常に閉鎖的な空間でのことだったのだなと感じています。

まとめ

この件からぼくが学んだことはどのような悩みを自分が抱えていても他人に伝えない限りは絶対に伝わらないということが1つ。 2つ目が予め退職するデッドラインを決めておくとよい…ということ。ぼくの場合であればスキルアップができなくなる、がそれに相当します。 3つ目、当時ぼくの状態の相談相手は比較的近しい状態の友人知人だけでした、これはあまり良くなかったなといまでは感じていていろいろな人と話すことでもっと早く成長するための場所が外の世界にはいっぱいあるのだと気づけたのではないか?と思います。

1つ前のブログでも書いていますが転職は基本やらなくていいならやらないほうがいいと思います。 ですがもしなにか不満や不安があるなら、まずは誰かに相談してみると本当にそれが必要なことかどうかわかる一助になるんじゃないかと思います。

不安と戦うためには何よりも実績や経験を積むのが一番効果的です。 まずはどれほど馬鹿らしいことであると思っていてもその実績を積み上げることから始めると決断をする最後の一手になるかもしれません。