前提条件
面倒くさいので最初に書いておくがここで書かれるエンジニアの対象はWebアプリケーションエンジニアやソフトウェアエンジニアをイメージしてもらいたい。
いちいちWebエンジニアと書くのがめんどいし、エンジニアとだけ書いた場合「エンジニアという主語がデカい」とかはてブされるのは鬱陶しい&ノイズなので最初に断っておく。
感想
読了した。
安定の #rebuildfm で紹介されたシリーズ。
最近年齢的なものもあるんだろうけども学習効率の良さをちょっと気にするようになった。
今までのやり方を今後も継続した場合、自分の期待値としての成長効率と現実の成長効率に大きな齟齬が出てしまうぞ、と。
そんなときにタイミングよく紹介されていたので購入して読んでいたが正直「やってみないとよくわからんな」というのが結論だ。
幾つか懐疑的な面や反論などもあるが全体的には試せるものは試してみようという気になっている。
「気になるけど買うのはちょっと…」という人は本屋などで一度ざっと目を通したほうがいいかもしれない。
ぼくは手元においておきたい!という強い欲求は得られなかった。
図書館で借りる、友人から借りるなどでも十分こと足りると思う。
本著は2部構成になっている。
第1部はDeepWorkとはどういう概念であるか?の説明を重点的に、第2部では偉人の例を取り、どのように生活や仕事にDeepWorkを取り入れるか?という方法論に重点が置かれている。
概要
概要自体は簡単で2つの働き方の概念についての解説やその状態を維持する方法やその目的などが書かれている。
なお、以下の概念はどうやら造語らしい(訳者のあとがきにそうある)ので誰かにドヤリングするときには気をつけられたい。
シャローワーク(shallow work)
- 知的思考を必要でない
- 新しい価値を生み出さない
- 誰にでも容易に再現できる
これらの条件をみたすものを本著ではシャローワークとして本題のディープワークと対比させている。
いわゆる「人間がすべきでない」タスクと言えばエンジニアの方々にはイメージしやすかろうと思う。
エンジニアはシャローワークを自動化するのが本来のタスクの1つだと考えているので非常にこの辺の概念はわかりやすかった。
ディープワーク(deep work)
- 集中した状態を必要とする
- 新たな勝ちを生み出す
- スキルを要し向上させる、容易には真似ることが出来ない
最初この説明を読んだ際にイメージしたのがDB設計であったり、クラス設計など設計をぼくは想像した。
ぼくは普段コードを書いているとき周りの音を遮断する目的で音楽を聞くのだけどもどうしてもそれをやめて真剣に頭を悩ませなければならないことがある。
それが↑の各設計のときだ(コードを書いてるときもあるがパーセンテージとして比べると低いという話し)
DeepWorkの存在価値
本著では「機械と人間の能力差は縮まり、雇用主は次第に"新しい人材"ではなく"新しい機械"を雇うようになるだろう」とある。
この問題はすでに顕在化している、わかりやすい例が「車の自動運転機能」だろう。
もし車を機械が運転するようになればタクシー運転手という職業はこの世から消え去るだろう。かつて馬車の運転手だった馭者がほぼ現代ではいないように…。
そしてこの問題はエンジニアであるぼくにとっても決して他人事ではない。
将来的に「ただコードが書けるだけ」のエンジニアの職はこの世からなくなってしまうだろうと予測されている。
ボク自身もそうなるだろうと予測しているし、そのことに対する危機感を抱いている。
但しそういう世界になっていくことは大歓迎だ! :)
本著ではそのような事態を避けるためにはDeepWorkが必要だという、DeepWorkという名称は本著によって作られたものだが概念としては決して新しくないとある。
哲学者のユングを代表に1900年代頃の偉人を例にして彼らのどういう点がDeepWorkだったかの解説が書かれている。
このあたりは正直興味がある人が読めばいい。
日本ではあまりまだ浸透していないがコミュニケーションとコラボレーションのテクノロジーの進歩でリモートワークの可能性が広がり、企業は重要な役割を優秀な人材に委ねる流れが今後より一層加速していくことになる。
そのときに切り捨てられるのは地元の人材なのだ…というようなことが書かれている。
切り捨てられない人材になるにはDeepWorkによって付加価値をつける必要がある。
本著では「何かを習得するには極度の集中が必要だ」とあり、そこでは以下の2つが重要だと書かれている
- 特定のスキル、または極めようとしているアイディアにしっかりと注意して集中する
- 最も生産性の高いものに注意を向け続けるためにあなたのやり方を正すためことができるフィードバックを受ける必要がある
これだけ読めばどこにでもある内容なのだが本著ではそれを実行するためにどういう状態であるべきかが書かれている。
気になるかたは本著を手にとると良いかもしれない。
懐疑的
但しいくつかの意見に関してはぼくは懐疑的なものを感じている。
例えば↓の例がわかりやすいだろうか。
あなたが最高の生産性を発揮するには気を散らすことなく、1つの仕事に全面的に集中する必要がある
これに異論を唱えるひとはいないだろうと思う。
ただ現実に行えているひとはあまりいないのではないだろうか?
それは個人単位で仕事をするということが少ないからだ、これをチーム単位で仕事をする場合どうなるのか?
あるいは外部からの依頼や取引、会議などがあった場合は?
本著ではこれに対しても一応の解答を出している。
ざっくりとかなり乱暴な意訳をしてしまえば「それらの煩わしいものごとが差し込まれる状態を回避せよ。具体的には引きこもれ」だ。
このような対応を行えば当然DeepWorkは出来るかもしれないがチームの評価としては非常に下がるし会社側からも注意されることだろうと思う。
(とはいえこの対応に関する問題点は著者も理解しており、第2部の後半に対応策を明示している)
そういう意味においてはこれらの解決策を求める人にとって(つまりはぼくだが)はあまり明確な解決策が提示されているとはいえないかもしれない。
まとめ
本著は基本的に同じことを繰り返し述べている。
以下はかなり暴力的な意訳なのであまり真に受け取らないでもらいたい。
- 重要なことを明確化せよ、重要でないものは出来る限り取り除くかまとめて処理してしまえ!
- 明確な指標がないと人間は多忙さを生産性の指標に据えてしまう。(ShallowWorkを多数こなしたことで仕事をした気になっている)
- ShallowWorkが悪なのではなくDeepWorkを阻害されることが悪なのだ
個人的に特に面白いなと感じたのは「注意力回復理論(ART)」という理論だ。
この中では自然の中で歩いたりすることで注意力が回復する(実際には注意力を要する行動が減っているため相対的に回復している…ということだと理解している)とある。
また同じように夕方以降はその注意力の残高が少ないためDeepWorkを必要とする仕事には向かない、あるいは夕方以降の仕事は延期しても問題ないと述べている。
この考えが非常に面白かった。
確かに言われてみれば夕方以降(特に16時以降)に妙にコーディングが捗るということを幾度か経験したがそのようなときはだいたいどう実装すればいいかが明確であり、
設計などのDeepWorkを必要とするタスクがなく、ただひたすらにコーディングに専念すればいいという状態が多かったように思う。
これは深夜にコーディングが捗る(割り込みやノイズが少ないという影響もあるだろうが)のも同じ理由かもしれないと妙に得心した。
さいごに
本著にいま現在の課題を直接的に解決する方法を求めるひとにとってはあまり良書とはならないかもしれない。
とはいえ、このDeepWorkという考え方は非常にユニークであると同時に興味深いものがあると思う。
直接的な問題解決を求めるのではなく、今後の将来的な観点にたって本著を手に取るというのはあるいは良い選択肢なのかもしれない。
それに駄目だったとしてもせいぜいが1600円ほどで3時間かそこらの時間の浪費だ。
決して高すぎるコストではないのではないかと思う。
おまけ
Amazonレビューで以下の意見があった。
ぼくは本著を大絶賛しているわけではないけども少し書かれている意見の筋が悪いように感じたので読了したものとしての意見を書き出しておこうと思う。
なおこの意見を否定する意図はない、ただ読了したボク個人の感覚とレビュアーの感覚がズレているように感じたので書き出しているだけである。
原作者の文章もひどければ、翻訳者の翻訳もひどい。適当に一文抜粋してみる。
それぞれのツールについて、あなたが定めたカギとなる取り組みを検討し、そのツールを利用することで、その取り組みに"十分なプラスの影響"または"十分なマイナスの影響"があるか、ほとんど影響がないかを問う。
はっきり言って最低品質。
追記:
1点補足しておくと、本書の購入動機は、
「気が散るものだらけの世界では集中することが重要だ」
という問題提起が鋭かったので、その解決策を期待したからだ。
ところが、その処方箋を期待する読者は(私と同様に)裏切られる。
問題提起の良さに対して、処方箋はインターネットのつまらないライフハックと大差ないのである。
さらに上述のように地の文がひどかったので、総合して最悪な読書体験であった。
この翻訳が酷いという点はある意味では正しい。
自然な日本語としては受け入れられないだろうと思うし集中を乱される可能性は十分ある。
但しそれをもって本著の価値がないとはぼくは思わない。
この翻訳を「原文の意図を正しく伝えるために敢えて不自由な日本語として残した」とぼくは好意的に解釈している。
これが正しいのかどうかはわからないが少なくとも日本語としては不自由であっても意味不明なレベルにはなっていないと考えている。
インターネットのつまらないライフハックと大差ないという意見に関しては半分同意、半分否定というところだろうか。
結局のところ煩わしい事柄に対処しようとするとどうしても似通った部分が出てくるのは仕方ない。
ところが本著はその理由を「こういった点から遠ざけるべき、但しそのためにはこれこれの基準を満たしていること」という根拠を示している。
ぼくはこの1点において「つまらないインターネットのライフハック」とは一線を画すと感じている。
この方にとっては期待したものではなかったのだろうと思うがボク自身は本著を読んだ結果、この批判は少し的外れだと思っている。
もしこのAmazonレビューを読んで買うかどうか迷っている方は参考にして欲しい。