ペンギン・ハイウェイを観てきた

今年の夏は本当になにもかもやる気が起きなかったり、体調崩してしまったりで観ようと思ってから2週間くらいたってしまった、反省。

しかしながらようやくいくぞ!と奮起して本日観に行ったのだが大変良かった。

感想としてはいわゆる一般的なSFではない。 ないのだが、故藤子・F・不二雄先生のいうところの少し不思議の世界として実に夏休みらしく、一夏の思い出と言える作品に仕上がっていたのではないかと思う。

元々原作の著者、森見登美彦の作品のファンなので純粋な映画としての評価はしにくいのだが 小説ではなんとなくイメージできていなかった部分が映像で流れているシーンはなるほどこの奇妙なシーンをこう表現するのかー!と面白おかしく楽しませてもらった。

ところで今回観に行ったのが夏休み最後?だからか非常に家族連れが多かった、また観に行った場所がイオンモール内にある映画施設だったからというのもあると思う。 (そういえば協賛?スポンサー?にイオンがあったのはそういうことなのかな?と観終わったあとで思った)

観る前までは子供が騒がしくて映画を楽しめないのかもしれない…という漠然たる不安があったのだけどこれは子供と一緒に観るべき映画なのではないか?と思うに至った。 大人の感覚、すでに子供の心が色あせて久しいぼくのような人間からするとペンギンが空き地にいるというシーンをみても「さあここからどう展開するのだ?」と考えてしまうのだが 横に座っていた幼稚園児?くらいの幼児は「わー!ペンギンさん!お父さんペンギンさんだよ!!!」と純粋に楽しんでいた。

この作品はあるいはこのように何も考えずにただただ楽しむための作品なのではないか?とふと思い、それ以降考えることはやめ、子供の歓声やらなにやらをスパイスに映画を楽しんだ。

ぼくは映画は静かにみていたい人間なのだが作品によってはこのように騒がしくも面白い鑑賞方法があってもいいのではないか?というように感じた。 つまるところ住み分けができればいいのだ、劇場版響けユーフォニアムのような音響そのものに非常にストーリー性と意味を持たせたものは静かに聞きたい。 ならば、それは上映回ごとに「飲食禁止、無音推奨!」と「騒音雑音オールOK!」という回を交互に行ってくれればいいのかなと思った次第である。

なお、いうまでもないがペンギン・ハイウェイは後者の騒音雑音オールOK!に分類してしまっていいとぼくは思う。

閑話休題

ずいぶんと前にペンギン・ハイウェイを読んでうろ覚えだったのだが今回映画をみて読み直したいなという気持ちにさせられた。 なにより、かつてあれだけ日々をわくわくしたり、冒険したり、どこか見知らぬ土地へ行くことの忌避感を覚えていた頃のフレッシュな気持ちを思い出させてくれる良い映画だった。

また観に行きたいと思う一方でそれよりはBlue-rayを買ったほうがいいのかもしれないなとも思っている。 とりあえずおもむろにその場でサントラを購入してしまったが後悔はしていない、昨今観た映画のサントラがすぐに手に入るのはいいことだなと改めて感じた。

facebookアカウントを削除した

以前から削除しようかな?と思っていたんだけどまれにmessangerとか認証ログインで使うアプリがあったので残していたんだけど ○○さんが投稿しました!という通知メールが何度unsubscribeしても届くので鬱陶しくなって削除した。 ここ数年ほぼ書き込みしてないし、あってもいいことないので削除に踏み切った。 14日後にアカウントが消滅するそうです、バイバイ。

危機感の話+

lacolaco.hatenablog.com

先日、らこらこ氏のエントリを読んでめちゃくちゃ「わかるー!」って思ったんだけど 微妙な点で差異というかぼくも同じ気持ちだったが最近少し感じ方や考え方が変わった部分があるな、と思いはてなブックマークに書こうと思ったが どうやっても100文字にまとめられないのでこっちで書くことにした。

とはいえこの文章もあと5年くらいしたあとでみたら「バカなこといってんな…」くらいの温度感でみるか「ぐおおおお削除削除削除おおおおお!」ってなるかのどっちかだなって気がするのでまーこの当時はこういう考えしてたんだなって感じのログです。 単一のログそのものには意味はない。

共通点:

らこらこ氏のような一線級のエンジニア、スパロボだとエース級パイロットな人とぼくを比べるのもどうかと思うがそれはそれとしていくつかの共通項目があったのでまずは前提として洗い出しておく。

  • コンピューターサイエンスの教育を受けたことがない
  • 高度な教育を受けた人間がちょっと参入してくればあっという間に淘汰されるという危機感
  • 何をしても足りてない気がする

結論:

書いてたら思いの外文章量が増えてしまったので結論を上に持ってきた。 詰まるところグダグダいってないで凡人なら凡人らしくあくせく努力しろ、というのがぼくの中での結論だ。 凡人がなんの前触れもなく優秀な人間にジョブチェンジできるのはラノベ異世界転生ものくらいなので、現実でそうありたいと思ったならまあやるしかないよねって点につきる。 この業界、優秀なひとほど歩みを止めてないので凡人が止めたら追いつくのすら困難になっちゃうし頑張るしかねえよな!って感じです。

コンピューターサイエンスの教育を受けたことがない

ぼくは文系大学に入学してその後中退してゲームの専門学校に進んだという経緯なので ある意味でコンピューターサイエンスの教育を受けていないわけではないのかもしれない。 とはいえ当時のゲームの専門学校というのは往々にして目の前の、悪くいうなら小手先の技術を教えることが多かった。

学校側のカリキュラムの問題というよりはぼくの学校の制度の問題で圧倒的に時間が足りなかったためだと思っている。 なので納得はしているのだがやはり大学などの情報工学を学んだりした人間に比べてアカデミックな知識や背景が弱い、そしてなによりも体系的な知識が歯抜け状態になっているとプログラミングに携わってきて多々感じる。

現場で鍛えてきたと言うのかわからないが少なくとも体系的に学んでこれたわけではないため、プログラミングするのにこの知識を知らないの?ということが多々あった。 例えばPHPでコード書いてるのにLinuxを知らない、MySQLがなにかわからない、そもそもどういう仕組みなのかもわかっていないなどなど。

このあたり、学校で勉強しているひとは強いと思う。 知識の基礎部分がしっかりと出来ている、つまみ食いでなんとか凌いできたぼくとの違いを感じることがある。

高度な教育を受けた人間がちょっと参入してくればあっという間に淘汰されるという危機感

全てにおいて言えることだが基礎は圧倒的に重要だ。 土台のしっかりしていないものは上層に向かうほどに不安定で不確かな状態になってしまう。 この点高度な教育を受けている人が参入するとあっという間に置いていかれるのでは?と専門学校に入学して間もないくらいから感じてはいた。

まして知の高速道路が日々すごい勢いで整備されており、異業種からの転職ながらも優秀なエンジニア/デザイナーで活躍しているひとの話しをみるにいつも危機感と焦燥感を感じている人は少なくないだろうと思う、ぼくもその1人だ。

ましてぼくは頭が良くない。頭がよくないというか平均点は取れるかもしれないが応用問題が解けないタイプの人間だ。 つまり応用問題が解けないということは基礎問題をしっかりと理解していないということの証左だと思う。

そういえば先日こにふぁーさんが書いていた地頭の良さに関する所感で「問題解決能力と問題発見能力と問題を集約させる能力がある≒地頭がいい」だと思っているとブコメに書いた。 そしていま改めてふと考えたときに「この基礎問題がきちんと理解できている」は大前提として入っていそうだなと感じた。 大前提として基礎問題は完璧に理解が出来ていてその上でどういう能力があるのか?という話しに繋がっていそう。

応用を知らなくても基礎がわかれば解ける…なんかそういうイメージがある。

konifar-zatsu.hatenadiary.jp

閑話休題

つまり、ぼくが曲がりなりにもいまプログラミングでご飯が食べていけているのは先行者特権のようなものだと思っていて5年後にはぼくくらいの能力なら機械に任せたほうが速いし品質が良いとかいう未来が来そうだなと思っている。 なのでそういう意味において学歴コンプレックスとはちょっと異なるかもしれないが引目というか負い目というかコンプレックスがある。

もし、大学で情報工学の道に進んでいたらいまよりももっと優れたエンジニアになっていたのではないか?という心のなかにしこりがある。

何をしても足りてない気がする

優秀なひとって年齢や経験年数に影響されないひとたちだとぼくは考えていて、例えばぼくは10年ほど曲がりなりにもプログラマとして働いてきたわけだけど優秀かと言われると首をかしげる。 無能ではないかもしれないが優秀といえるほどではないと自覚しているからだ。

一方、優秀な学生という存在がいる。 経験年数は1年とかなのにぼくよりも深い知識や広い分野を体験としてしっかりと持っており平均値ゾーンから大きくはみ出している逸材だ。 絶対数は当然のように少ないのだが彼ら彼女らは雨後の筍のように毎年ポコポコと生まれてくる。

そうするとベースとなる能力値の差を経験で補っているいまの状態では半年もあれば追い抜かれるどころか追いかけるのすらしんどい、そのような気持ちになることがある。

微妙な違和感について:

とまあこのようなネガティブな面においてかなり読んでいて我が事のように感じながら読んでいた。 ではどこで差異が生まれたのか?だがこれは簡単でぼくは恐らく「追い抜かれていくことに対する諦観」が生まれてしまっているのだと思う。 つまりは若くて有能な人と比較される基準に満たない人物なのだというある種の諦めを抱いているのだと思う。

昔は優秀な若者≒同年代だったので「まだ時間はある頑張るぞい!」とか同じステージに立つことを目指していた感があるけど最近は自分が満足できるレベルのステージ以上でプレゼンスを発揮できればいいかなという感じに思考が変わってきた。 ネガティブな捉え方をするなら挫折したということなんだろうけどあまり自分のなかでそういうネガティブさは普段は感じない、たまに凹むことがあったり朝起きて鬱い感情になってるときにふと思うくらいのものだろうか。

どちらかというと同じステージに立つことは目的ではなくてなにを成したのか?が目的にシフトチェンジしたのかなと思ってる。 この戦場では彼ら彼女らに勝てない、だったら勝てる戦場に行きましょうね。くらいの比較的軽い気持ちでいる。

彼ら彼女らは確かにすごいし、すごいことをしているがぼくだって捨てたもんじゃないですよ!くらいのことを言えるように日々悪戦苦闘しているつもりだ。

自分が高度なコンピューターサイエンスの教育を受けていたらどうなったか?

これに関する答えはほぼ出ていてほぼ間違いなく何も変わらないと思う。 もしかすると逆に挫折してプログラミングを職とすることを諦めていたかもしれないとすら考えている。 何故こう考えたかだがまあ普遍にして明らかなのでいうまでもないことだが「やるやつはいつ、どこで、どんな状況でもやる」からだ。

例えばぼくは大学のコンピューターサイエンス科にいっていない。それどころか大学すら満足に卒業していない。 これを打破するのは実に簡単で入学して卒業すればよいのだ。

ところがぼくはそれをやっていない、やりたいという気持ちはあるものの行動に移していない。 これはつまるところやる気がないということだと思う。

よくTwitterとかで就活している学生に「プログラミングに興味はありますがプログラミングしたことはありません!ってひとやる気ないなら帰って」みたいなことを言ってるかたがいると思うんですよ、ぼくもそうなんですが。 年齢制限があるわけでもないし、試験さえ突破してお金を払ったら入学できる大学のコンピューターサイエンス科を受けてすらいない時点で結果は変わらないと思うんですよね。

もう1つの理由:

もう1つ理由があって必ずしも「大学でコンピューターサイエンスを学んだ人間が自分よりも優れているとは限らない」ということですね。 基本的にはコンピューターサイエンスを学んだ人のほうが自分よりも適正や能力値の伸びしろはいいとぼくは考えているけども 昔取った杵柄で怠けてしまうと日進月歩な速度で進んでいく時代に取り残されていくと思っていて、つまりはイソップ寓話における「うさぎとかめ」のようなものだと感じている。

実際に大学のコンピューターサイエンス卒な人が同僚にいたのだが恐らく大学を卒業したあとにきちんとスキルセットを磨いてこなかったのか、ある時点での知識で更新が止まっていた。 ただ業務ではそれでその人は困らない、困ってないと思ってるのでわざわざ更新をしてこなかったというパターンの問題だ。 周りのひとがどう思ってるのかはわからんし、業務が上手く回ってるならそれはそれでありなのかなとは思う。 ただボク自身の感想だと技術職としての成長を諦めたら技術職辞めたほうがいいし、辞めるべきかなと考えている。

よくSEのブラックジョークネタにされているけどこの世の中には本当にこういうひとが実在している。 能力が下だと思っている人と比較して悦に入るのはゲスの極みだと思うが、これは別の受け取り方も出来るなと思っていて スタートダッシュには失敗したがコンスタントにきっちりスピードを維持していればある一定地点でその差はほぼないものにできるのではないか?とここ何年かで考えるようになった。

脱線:

ちょっと話しが脱線するが以前なにかの読み物?で「自分よりちょっと劣っていると思う人はだいたい自分と同じくらい、自分と同じくらいだと思ってるひとは自分よりちょっと上、自分より優れていると感じるひとは遥か彼方」という表現を知ったのだがこれかなり当てはまるなと思っていて、それ以降自分より少し劣るくらいの人をみると「自分はこのレベルなのでもっと頑張らないとないかんなあ」みたいな奮起の材料みたいになってる。

まとめ

つまることろ自分の努力の質と量に比例するのでスタートダッシュはあまり気にしなくてよくて、それよりはいま自分がどれくらいやれているのか?どれくらいプレゼンスを発揮しているのか?を定量的に測るのがベターなのかなと最近考えている。

なのでこの悩みの大部分は無意味だというのがぼくの結論、悩んでもいいけど結局やることは1つだよねって延々思考がループしてる。 追い抜くひとはどうやったって追い抜いていくし、追い落とされるひとはどうやったって追い落とされる。 なのであとは自分が先頭集団にどれくらい食いついていけるか、どうやって先頭集団に食い込むか?かなと思ってる。

なので「何をしても足りてない気がする」というのは真理というか圧倒的に正しくて、多分常に飢え続けていかないといけないし足りるということは満足するということでその瞬間から置いていかれるんじゃないかと思ってる。

まーこんなこと誰だってわかってるのでことさらに言葉にしないのだろうけども。

追記:

そういえばらこらこ氏、結婚おめでとうございます! らこらこらこらこ〜 :)

最近やった新しいこと

タイトルに「新しい」とあるが今までぼくが挑戦、あるいは触れることがなかった機会についてせっかくなのでなにか足跡のようなものを残しておこうと言う気になった。 多分いまさっきRubyKaigiの往復の移動が夜行バスになってしまったというのがだいぶ効いてると思う。

Ruby/Railsを実務でコード書いてる

副業でもやっていたけどやはりフルタイムだと集中度合いや生きているコードを読んでいるので日を追うごとに経験値がチャリンチャリンしてる感覚があってよい。 ただいまは低Lvだから比較的早くLvがあがっていってるとも思っていてもっと深いレベルでコードが読めないといけないと感じている。 そのためにはやはりRubyの仕組みやRailsの中身を知っている必要があるなと感じている。

最近ちょっとサボり気味だったのだがRailsにマージされたコミットログを読む活動を復活させたい。

フロントエンド入門した

React+Fluxに入門した、こんにちわこんにちわ! Reactは少しVueを触っていたからか割りと漠然と「こんな感じなんかなー?」と雑な認識が早々に出来たのだがFluxにおけるデータの流れが途切れ途切れにしか認識できずかなり苦戦した。 対象のコードの構造がスパゲッティーになっていたという点もありはするのだがもう少しシンプルに実装したり、コードの臭いに気づけるようになる必要があると感じた。

ぼくにフロントエンドエンジニアの道はないということがわかった、サーバーサイドエンジニア最高じゃん! とはいえフロントエンドを触らないとか現代のエンジニアにはほぼ無理ゲーだとも思ってるので主戦場はサーバーサイド、たまにフロントエンドに顔を出して死に顔晒すくらいの気持ちでいたい。

ペアプログラミングリファクタリング

結論、めっちゃ疲れる。 お昼食べた前とあとの集中力の欠落具合が実感できるレベルで低下していたのでヤバい。 とはいえペアプロもどきみたいなことは実は過去にしたことがあったがそのときはまだ職業プログラマーになって1年未満だったり、 相手が友達だったこともあったということなどもあり、今回ほどの収穫というか手応え的なものは感じなかった。

反省点としてはペアプロは半日まで。 ペアプロ後は集中力がガタ落ちするのでなにも考えなくていい、ただ手を動かすだけのような作業を割り振るようにする。 隔週くらいのペースでリファクタリングを基本としてペアプロ/モブプロするのがいい。

Capistranoに入門した

いままでいまいち理解できてなかったCapistranoさんに入門した。 Capistranoそのものというよりもデプロイ先の開発環境としてVagrantを選択したのだがいろいろなライブラリやパッケージなどなどが足りておらず、そこで四苦八苦していた印象が強い。 その苦労に反してコード量が無きに等しく終わってから一瞬の開放感ののち多大な徒労感を味わうことになった。

Ansibleで完結させてぇ…。

Ansibleにちょっと触れた

入門というほどではないが他のエンジニアが書いていたAnsibleのPlaybookを読んだりした。 結果、だいたいなにしてるのか?などはざっくり理解できたが書かれたコードと実行された結果のブラックボックス的な部分が理解出来ず断念。

その結果Capistranoだったわけだがそちらにも小さい問題があるので忘れないうちにやり直そうと思う。

英語でコミットログ書くようにした

ログメッセージがくっそわかりにくい英語になってる(あり得ない英文になってる)と思うがいつも「すまん!!!」って思いながらコミットしてる。 結果、自分の語彙力のなさやどう表現すればいいのか?などを考えるきっかけになり、よかった…といいたい。 いま現在英語がしゃべれない、書けないのがぼくだけと言っていい状態なので継続して英語で喋れるようになったり読める英文を書いていきたい。

ディスイズアペン!

おわり:

基本的には業務的な部分が多いのだけど業務から多くのことが学べているというのはいいことだと思っている。 とはいえ、あまり赤裸々に書けるものでもないので新しく手を出したことやわかったことということで足跡を残した。

教えてもらっている以上のものを全然返せていないなと感じているので速いところ借りている恩を返せるようになりたい。 難しいなと思うこともあったりするけれど、「本質に向きあっている」と感じたりコードに快感を覚えたりと非常に満足して働けていてよい。

問題としてはインプットの量が激減している。 これは怠けているとかというわけではないのだけど目の前のものに専念していて、その取捨選択の結果減っているのかなと思ってる。 とはいえ良質なアウトプットはインプットの量に比例するものがあると思っているので早くいまの状態に慣れてインプットの量を戻していきたい。

リズと青い鳥

liz-bluebird.com

公開初日に観てきた。 ぼくは文才がないのでネタバレを含んでいる内容となっている。 そもそもレビュー記事を見に来て「ネタバレすんな!」とか言われても困るところではあるのだが一応注意喚起する。

このエントリにはネタバレを含む内容が書かれている。

感想としては主人公2人の関係性とその変遷、その心情にシンクロするように変わっていく周りとの関係性などが綺麗に、そして丁寧に描写されていた。 …が原作をみているせいで少し消化不良気味に感じるところがあった、作品の評価としては正直イチャモンをつけているレベルなので気にする必要はない。

映画として今作は非常によく出来ていると思う。 どうしても響け!ユーフォニアムの劇場版はダイジェストになってしまうため、そこを敢えて作中の2人にだけ焦点を当ててしっかりと描き切ったと感じている。 またこの2人の関係性を非常に丁寧に、そして綺麗に書ききったなと思ったのが映画鑑賞後にまず覚えた印象だ。

ではどういう点に消化不良を感じるのか?というとこれはハッキリしていて、原作は「波乱の第2楽章」と歌っているようにさまざまな人間模様と関係、その一端としてリズと青い鳥ひいては鎧塚みぞれと傘木希美を描いている。 映画冒頭で2人の足音がズレていたのは関係性の不安定感を演出していたのだと思う。

つまり複雑な部活内での人間関係や変遷、その結果を非常にうまく心情を語っている。リズと青い鳥はこの波乱を象徴する2人の青春と成長、そして巣立ちを描いたものではあるのだがこの2人だけだとどうにもその屈託や胸を締め付けられるような痛みまでは表現しきれない部分があり、そのへんが消化不良気味に感じた要素だ。 それは原作でどうぞ、ということなのだろうと理解はしているがやはりそれあってこその第2楽章だという思いがあったので理解はできるが感情は別という感じだ。

原作の後半のとあるシーンで鎧塚みぞれがまさしく青い鳥のような羽ばたいていくことを想像してしまうワンシーンがあるのだが映画では(本編側のネタバレになるからだと思うが)その象徴的なシーンがカットされていた。 希美という存在からのみぞれが巣立つという印象的なシーンだったこともあり、とても素敵で好きなシーンなのだがカットされていて悲しかった…。 そこまで書いてしまうのはこの映画の構成では蛇足だと思うので納得感はあるのだが、どうしても原作厨なぼくとしてはあのシーンを入れてほしかったなと言う点で残念さを覚えた。

(詳しいことが知りたい人は原作読んでね!)

とはいえ、原作どおりに作るのがよいか?というとそれは違うとも思っていて、この場合は原作が非常によく出来ていてその印象に引っ張られてしまっているだけだと認識している。 映画単体でみても非常によくまとまっており、焦点を絞って切り出しただけにそれまでいまいちなにを考えているのかわからない2人のキャラクターが初めて受肉されたと感じた。

実のところぼくはこの映画の主人公であるところの2人、鎧塚みぞれと傘木希美のことがあまり好きではなかった。 特に「北宇治高校のいちばん熱い夏」の鎧塚みぞれが登場するシーンはごっそりなくてもよいのでは?と考えていたし、全体として非常によくまとまった話しの流れにあってその部分だけ文章の流れに淀みを感じていた。

ところがこの「波乱の第2楽章」によっていともたやすくその印象は覆ってしまった。 まさしく波乱というサブタイトルに相応しい内容だ。 嫌いなキャラクターが話しが進むと一変するというのは稀にあるのだが今作ほど綺麗に反転した例をぼくは知らない。 好感を抱いていたキャラが反転するのはままある、悪感情を植え付けるのは割りと単純だと思うがその逆は非常に難しいのではないだろうか?

そういう意味では本作は鑑賞後に綺麗な反転による爽快感を味わうことができると言える。 とはいえ、原作における名シーンがちらっとだけでも表現されることを期待していた節があるぼくとしては最後のほうが少々物足りないと感じた。 特にウザりぼん先輩こと吉川優子の男気あふれる名シーンが丸々カットされていたのは理由はわかるが残念だなと感じたので是非とも映像で拝見したいところだ。

今作は言わばスピンオフ的作品となっている、完全なスピンオフとも本編とも言い難いので勝手ながらリファイン作品と呼んでいるのだがその中で感心したこととして 本編の主人公である4人のキャラクターをあまり全面に出さなかったことがあげられる。

割りとありがちなのだが前作で人気のキャラクターを全面に出してしまうとどうしてもノイズになってしまいがちでその辺の匙加減が今作は絶妙だったなと感心しながら鑑賞していた。 とはいえ作品の性質上まったく出さないというのも逆に不自然なのだがそれをうまくモブ扱いしていたのが印象に残っている、いないわけではないがきちんと脇役に徹していると感じた点が好印象だった。

あと好印象だったキャラクターとして剣崎梨々花があげられる、原作でも登場するのだがみぞれとの対比がうまく描かれていたように思う。 結果を知っているのに思わず胸中で応援したくなる愛らしさがあり、うまく表現するなーと感心した。

作品そのものではないがHomecomingsというグループの曲も良かった。 当初情報が公開されたときは微妙にマッチしてないかも?と思っていたが劇場で実際に観たあとではうまく作品に溶け込んでいるなと感じた。 なんとなく2人の関係性のような儚さを観終えたあとで感じたのでリリースされたら買ってみようと考えている。

レビューというよりただの雑記になってしまったがこの映画は良い作品だった、アニメーションとして綺麗に心情とその変遷を描いた作品だ。 ユーフォニアム作品はいろいろと心の琴線を鷲掴みにする作品だと思っているのだがその中でも最も琴線を鷲掴みにしてきた作品を大胆に構成を変えて表現しており、続きが気になると思わせてくれた。

とはいえ主人公2人の経緯がわからない人にとっては置いて行かれてしまう感覚が残ると思う。 なので万人向けとは言い難いので知らないひとにはなかなかオススメしにくい。 あくまでもファン向けの作品かな?と思わせる。

ユーフォニアムは非常に豊かな心情表現が書かれており、それが作品の魅力なのだがそこからとある人物たちを抜き出してフォーカスした作品を作るとこうなるのかと感嘆した。 ユーフォニアム好きなひとにとっては普段とは違った切り口での表現を楽しめるのではないだろうか?

ところで劇場でみていて少し苛立ったことがあった。 横の席のかたがバーガーをガサガサゴソゴソと盛大に音を立てて食べていたのだ、時間が15時前の上演開始だったので遅めのランチを食べているのだろうと思って我慢していた。 そして、ようやく食べ終わったか…と思いきや2つ目を取り出して飲み物をズゾゾーと吸い出したときには「こいつ帰ってくれねえかな…」と本気で考えた。 とはいえ、食べている人に罪はないので自分がされて嫌なことは行わないようにしようと自戒するにとどめたいと思う。

映画好きな友人が映画館で上映中に飲食するやつに殺意がわくと以前いっていたときにはそんなもんかーと軽く受け流していたが映画を集中して観たいと思っているときにされると確かに殺意がわくなと改めて友人の思いに共感したし、以前読んだ増田で「映画館で飲食するやつに憤るやつ、そんなに嫌なら円盤買って自宅でみろ」という主張も正しいなと思った。 アクション映画とかなら気にならないんだけど…音楽が題材だったりするような作品ではやめてほしいなーというのが正直なところだ。

技術書典4のサークル名「底なし沼の魔女」の新刊をレビューしました!

技術書典4とは?

技術書の同人誌オンリーイベント。 それにしても2年ほど前に第1回を行ったと思ったらもう4回目なんですね、すごい…。

techbookfest.org

サークル「底なし沼の魔女」氏

著者であるところの底なし沼の魔女、こと@MegaBlackLabelさん(れいなさん)が出す同人サークルの名称。

告知Twitterは↓ みんな絶対来てくれよな!(なおぼくはいけません)

概要:

サークル主の@MegaBlackLabel 氏に唐突にレビューやらなイカ?と言われてホイホイついていった。マジでこれだけ。

このときのぼくの心境としては「レビューとかやったことないけど面白そうだからやってみたい」が3割。

「Reactわからんのでレビューできないのでは?という不安」が3割。

「本を読むのが遅いので迷惑かけそう」が4割り、という感じで当初は消極的だった。

んだけどまー貴重な経験だし、やれるときにやらないのは単純に機会損失以上に損だと思い直して受けることにした。 あとになって結果を振り返ってみるとなかなか良い判断だったのではないかと思う。

感想:

今回やってみてわかったことは大きく3つ。

  • 自身が疎い技術分野であってもレビューは可能
  • 疎い技術分野のレビューはレビュアーにとっても刺激的
  • 文章の校正をするためには文学的表現としての根拠が必要

ひとまず校正のFixは出来たかなと思っていて「人間やったらなんとかなるもんだな」って感じです。 そういう意味ではやってみて自分の中で良かったかなというふうに感じています。

コードや説明が正しいのか?という技術的知見からのレビューが出来なかったのが課題として残りました。 これは当初想定していたこととはいえ、改善しないとなあという気持ちになりました。

わかったこと:

レビューするスキルについて:

書籍として正しい指摘を行うということと技術的な指摘を行うということは全く別物。

レビュアーは技術的な面も文章的な面も両方のスキルを持っているべきだが、どちらか片方しかなくても校正という意味では十分戦力になる。 もちろん市販されている書籍などの場合は両方の知識と経験、バランス感覚などがよりシビアに求められると思うので 今回は同人誌ということでハードルが一般書籍ほど高くなかった(と勝手にぼくが思ってる)ので気持ち的に気楽に行えた。

また自分も多少なりとも貢献できている、できているといいなーという気持ちになった。

レビューする側としての根拠:

今回生まれて始めて他人の文章を校正することになったのだが「ここはこの表現のほうがいい」というときに「何故なら」の根拠部分を説明できず、単に「こっちのほうが好み」とか「こっちのほうが良さげ」という主観的なレビューになってしまった。

Whyを説明できていないということは説得できるなにかを自分自身で理解できていないということを痛感した。 自分のブログなどであれば、それでも構わないが書籍という衆目に晒す文章の場合、変更するにはそれなりの根拠が必要だなと感じた。 根拠が無いと単に表現方法について難癖をつけているような印象を自分に持ってしまって、レビューする側としてよくないなと感じた。

馴染みのない技術レビューは学びが非常にあるのでレビュアーにもメリット:

今回Reactというあまり馴染みのない分野のレビューをしたのだがこれが意外な効果があった。

というのも知識や経験が疎いのでわからない、知らないことが多々あり、「ここの表現で説明を省いてるけどこれは〜の理由から?」というように通常技術書を読むだけではなかなか得られにくいフィードバックを得られた。

また原稿が更新されるたびに何度も同じ文章を読み直したり、コードを注意深く逐一チェックしているのでなかなかこういう体験は単に技術書を読むだけでは得られないため レビューする側もレビューを通して学習しているのだなと感じていた。

連絡手段は複数あるほうがいい

最終稿のレビュー中にTwitterが落ちたり、Dropboxがその影響を受けたのか一部ページの取得によく失敗していたりした。 著者のれいなさんとの連絡手段がTwitterくらいしかないのでちょっと焦った。

もし次回があるならDiscordかSlackを用意しておくほうがいいかもしれない。 でもまー次回やるときもTwitterが落ちるとは思えないので気にしなくてもいいかも?とは思ってる。

改善しないといけないこと:

原稿の最終稿レビュー中にTwitterで障害がおきてDropboxTwitterでしか連絡方法がなく、どちらもサービスが不安定になっていたのでそれ以外の連絡方法を用意しておいたほうがよかったなと思った。 まさか最終稿レビュー中に発生するとは思わなかった&久しぶりの不調だった。

春眠暁を覚えずなシーズンだったのでだいぶ眠い状態でレビューしていてタイポなどを見過ごしていた箇所がいくつかあってきちんと睡眠取らないと駄目だねってなった。

まとめ:

ということで同人誌ではあるけども生まれて始めて書籍のレビューをするという貴重な経験をすることができた。 またレビューを通して得るものがあったので個人の体験としても非常によかったと感じている。 あとはレビューで漏れてしまった誤字脱字がないことを天に祈るのと2冊とも完売してくれ!(人∀・)タノムって感じです。

……ということを書いてる間に著者さまが頭おかしいことを発言しているのでマジ買いにいってあげてください、物理的負債はきついんだよぉ。

ふと思いついた職務経歴書OSSの改善案

luccafort.hatenablog.com

以前書いた#職務経歴書OSS化 の問題点とかはてなブックマークされたかたがいて 何気なく読み返していてふと思いついたのだけどGithubのコードとしてオープンにするのは難しい…という問題点に関してGithub Pages使えばいいんじゃないか?と思いついた。

Github Pagesなら一応限定公開できるし(招待制とかではないのでURL知ってれば誰でもみれちゃうけど)、Gitで管理できるのでまあいいんじゃないか?と言う気持ちがある。 とはいえ職務経歴書OSSと違って他人からのスキルに関するPRをマージする…みたいのはやりにくいかもしれない、できなくはないけども。

あとPagesの仕様から簡単に推測が可能であるという点もちょっとなあ…という気がしている。

この考えの改善策としては以下2つがあると思っていてここなんとかならんもんかなーと思ってる。

  • Github Pagesへのアクセスを許可制にしたい
    • Github Pagesが生成するURLには法則性があるので簡単に推測可能なのでそれが防げるなら別にアクセス制限はなくてもよい
  • 紙でくれって言われてもすぐに出力できるようにPDFで出力…というオプション機能がほしい
    • 技術書典なんかでPDF化する方法があったのでこれは出来そう

なんかもうちょっと工夫できればこの職務経歴書を手書きする問題を解決できそうだなーという気がしてきた。 多分最大の問題はGithub PagesのPrivateの仕様なんだよなあ…これさえ解決可能ならほかは割りとどうでもいい。